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by gionchoubu
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中書島遊廓の歴史 その四

余談ながら、どういう事情か分かりませんが、全国花街めぐりの続編が発行される事はありませんでした。
同時期に出版された『全国遊廓案内』は中書島を当然遊廓視点で見ており、娼妓数約四百、貸座敷数八十四軒、店は写真式で陰店は殆ど張ってなく、娼妓は殆ど居稼ぎ、廻しはとらず、費用は一時間遊びが二円程、半夜は四円、全夜は六、七円、税は消費額の約一割二分としています。
三都花街めぐりでは、中書島を花街視点で紹介していますが、芸妓の数は八十から九十人、娼妓の数は芸妓の四倍以上で、松川は娼主・芸従の本格的遊廓で、昼夜弦の絶ゆるときなき洛南唯一の温柔郷という表現を用いています。
さらに妓楼の主なものとして、末広楼、芳の家、新栄楼、仲辰楼、揚屋の主なるものとして、喜多仲、横萩、料亭の主なものとして、澤文、寺田屋、鮒亀、橋田、魚常そして日本一の柳樹を自慢する今富橋畦の喜多家を挙げますが、緑江さんも、喜多家に触れ、その頃舞台のある座敷は珍しく、わざわざ京都の人々も、中書島の芸妓を呼び、ここで宴会をしたとしています。
遊興制度は、芸妓の花代が一本十銭の十銭花で、一時間約十本で、最初の一時間には送り花二本がついて十二本の計算になるとのこと、特別祝儀(つまり芸妓と寝る事)の場合一流芸妓を白切符、中流を青切符、下級を赤切符と称し三段階に分けるが、最下級の赤切符でも、東京の場末の花街に比べると遥かに高いのは、娼妓本位遊廓だから芸妓の特祝は当然高くなると説明しています。
代表的芸妓として横山の貞、柳家の千代、柳家の金吾を推し、名物楼妓に小園を挙げました。
月刊『技芸倶楽部』から、この頃の中書島の花街の側面を探ると、昭和四年、三月十九、二十日両日、大手座で温習会を催しています。十九日の番組は、素囃、八島官女、長唄伊勢音頭、その他舞踊俄獅子や舞踊三ッ面椀久、さらには浄瑠璃、白石噺揚屋之段など、よし助、染之助の義太夫芸妓の名もあります。
その前年の昭和三年、五月二十一、二十二日にはこの芸妓倶楽部主催で、京都市公会堂で京都の当時の七花街と中書島を併せた『技芸倶楽部創刊第六年記念京都伏見八遊廓総合歌舞音曲園芸大会』という矢鱈長い演芸会がありました。
その時、二十一日、素唄「四季の壽」(長唄小奴、小金、三絃玉太郎、友奴)の評は概ね好評で、流石に日頃練習に余念なき連中丈あって絃歌共に非常なできばえ、「中書島の芸妓は案外芸に上達している」・・・つまり余り期待されていなかった事になります。
翌日は篠塚流の舞で「都鳥」をかけたのですが、これもはんなりし円熟した振りで大喝采を受けています。江戸期、京都の舞を井上流と二分した篠塚流は、京都の花街からはすでに撤退を余儀なくされたものの、伏見の中書島で最後の牙城を守っていたようです。
by gionchoubu
| 2015-01-13 12:20
| 京都の遊里
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