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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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中書島遊廓の歴史 その二

中書島遊廓の歴史 その二_f0347663_12460179.jpg


マリア灯篭・・・現在長建寺にあるマリア灯篭は、元々柳町の御所にもお出入りを許可されていたお茶屋「紅屋」の隠れ座敷にあり、隠れキリシタンが祈りをささげたものとされ、下にマリア様の姿が浮かびあがっています。東寺高山右近の家も南浜小学校の辺りに有りました。

中書島の名前の由来ですが、中書は秀吉が伏見城在城当時から、この地が元禄七年(1694)まで朝散太夫中書少郷脇坂淡路守の邸宅があり、伏見住民が脇坂侯を敬称して「中書さん」といっていた事、島は今の京阪中書島駅あたりは宇治川の河川内で、この宇治川と宇治川筋で囲まれた土地を弾正島、矢倉島そして中書島に分けて称していたことに依ります。

ちなみに中書町の呼称は、京都市内の上京区(丸太町智恵光院バス亭の近く)にもあり、これも脇坂中務大輔安治が伏見に移る前ここに住居があったことが由来で、脇坂氏の官名、中務大輔が中国の位である中書に相当していた為、この呼称が生まれました。

秀吉在城時代、人口六万を誇る日本四大都市としてその名を天下に知らしめていた伏見でしたが、その後衰退、建部内匠頭が伏見奉行に就任すると、荒廃した中書島開発の為南浜町から蓬莱橋、表町から今富橋の二橋を架け、民家建設の請願を許可しました。

明冶の始め伏水中書島として、自らが府に提出した『京都府下遊廓由緒』を見ますと、言い伝えではあるが「東山天皇元禄元戊辰年建部内匠頭伏水在役中大亀谷村多門院弁財天引移相成右天女茶立女之唱ヲ以遊女並茶屋株免許相候由」
と中書島遊廓の起源を元禄元年(1688)としています。

ただし『京都市の地名』では中書島遊廓の成立を元禄十三年誕生、『伏見史話』『城下町伏見町名の秘話』『歴史に隠れた伏見の碑』などの著作のある吉田酔痴氏は中書島遊廓の誕生を元禄十三年七月とされています。

そして阿波橋西の柳町(通称泥町)や、南浜の遊所をすべて中書島に収め、蓬莱橋がかかる中間道路を隔て、東柳町、西柳町としましたが、町名で呼ぶ人は殆ど無く、俗称中書島と読んだのです。

『嬉遊笑覧』では元禄時代に完成した『色道大鑑』を引用し「同処柳町、俗に泥町といふ。夷町(撞木町)より十六町坤の方也。舟人・馬借の類入こみて興ずる処、風俗いふにたらず。されども元祖の薫、また八千代などは、此地より出たり。奇といふべし。」
と紹介しています。

この色道大鏡の「日本遊廓惣目」に全国二十五箇所の有名遊里が載るのですが、この中に、伏見から伏見夷町(撞木町)とこの伏見柳町(中書島)の二箇所も選ばれているのは、当時の伏見の存在感の大きさを示している様です。

さらに色道大鏡には伏見柳町の図が載ります。それによりますと、東柳町北より、空地、挙屋やしき明地、大工屋六兵衛、丹波屋源左衛門、淀屋太郎兵衛、ならやつま、奈良屋加平治、常陸屋長兵衛、近江屋長左衛門、丹波屋甚左衛門、年寄丹波屋元清、大阪屋由仙、松葉屋三左衛門、大阪屋清左衛門、京屋真幽、福田利兵衛、町役人庄助、そして西柳町北より、挙屋隅屋与平治、挙屋丹波屋吉兵衛、挙屋橘屋半兵衛、丹波屋太郎助、同、天満屋八郎右衛門、檜皮屋長兵衛、奈良屋加平治、同、出口屋勝兵衛、大坂屋六之助、江戸屋八兵衛、同、堺屋九兵衛、富田屋勘兵衛、そして此東西の橋の間を泥丁と言うと書かれています。





by gionchoubu | 2015-01-09 12:57 | 京都の遊里 | Comments(0)