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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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遊郭における廻しに関する一考察 その五

遊郭における廻しに関する一考察 その五_f0347663_11523493.jpg
それでは本題に入ります。りんが年八両三分、五年年季で串茶屋よごやのひさぎ女(飯盛女つまり遊女)となったのが宝永二年(1705)といいますから、串茶屋がまだまだ低級な遊里で、遊女もブタコなどと陰口をたたかれた時代です。

しかしながら、加賀前田家のご城下、安宅関でお馴染みの富樫の時代より浄土真宗の土地柄、人と人との縁を尊び、串茶屋に於いても、遊女であっても自分である程度、その晩枕を重ねる男を選ぶ張りも自由もあり、楼主もきっちり線香で時を計り、おつもりを告げる不人情のなかった時代、後年女遊びの社会では当たり前とされ、遊ぶ客も、前提として見世に揚がった「マワシ」がご禁制だった古き良き時代の話です。

北陸街道にあり往来の激しい串には、士分格の徒士、足軽、職人、僧まで年に何回か立ち寄る馴染客も多く、もし仮に、一人のひさぎ女に二人の馴染客が立ち寄れば、女はより馴染客を選び、楼主を通じ、外した客を他の店に紹介するという不文律が成立していました。

そして外した客には、お引き花と称する屋号を染めた手拭を出すという義理果たしがあり、客にとっても、女にとっても、取った寝取られたの気まずさが、この手拭一本で帳消しになると考えられていました。

さて、りんがよごやに来て奉公にも馴れてきた頃、年の頃なら二十五六、松任在住の十飛飛脚の新七という若い衆、酒も遊びもまず人並み、金払いがよく、よごやにとってはまず上客の部、最初の一夜で店の看板女郎すてがとりこになったという評判の男前がやってきました。

しかしこの日は十一月、頼母講や季節旅で串がひときり賑わう日、よごやでもその宵は早くから客が付き、すても当然泊まり客が付いていました。女主人のおふでは、普段ならお引き花で、義理手配の掛け合いをするのですが、この繁忙期の中、まず時間の無駄とあきらめ、さりとて馴染みの新七を返すわけにもいかず、花はとらぬまでも空き部屋の一つを当がい自ら酒の相手をしながらどうしたものか、思案しておりました。

この日すてについた客は金沢の尾山、鷹匠町の水内の殿様の下回りで、大聖寺藩に丁銀を届ける帰りによごやの客となった斉木三佐という四十がらみの馴染で、士分ということもあり、よごやでは大事な顧客でありました。

すてが、酒の相手をし、枕を交わした後、三佐がひと寝入りしたので、たばこの一服づけに階下におりると、この空き部屋で所在無げの新八と顔を合わせたのです。

二人は、いわば相思相愛の仲、三佐が眠っているのをいいことに、おふでも人情で、新八がすてと思いを遂げるのが分かった上、粋な計らいで自分の寝室に下がったのです。

おふでが、うつらうつらいていると、「おーいおかみ出て来よう、よごやは廻しの客をとって、法度破りしても、いいんかい、ふたつ重ねて叩き切るがのう、それでも文句は無いやろがい、」三佐の大声が、狭いよごやの天井まで響き渡ったのです。

鬼の形相で、抜き身を振りかざした、怒りに燃えた三佐の姿を前に、海千山千のおふでも、この時の恐ろしさは、のちのちまで亭主の弥六にしみじみ述懐したという程すごいものでした。

全宿六部屋の女郎も客も、ぶるぶる震えながら成り行きゆきを案じていたのですが、一人だけ悠然と構えた、六十路のご隠居風情の客が、つかつかと三人立ちすくみのくだんの部屋の前でしわがれ声の一喝、

「この無粋新参、何をほざくか!」

この老人こそ、加賀藩横山家従士頭上何某という尾山城内で要職にあった侍
斉木三佐も下士分限の若輩ながら面識があったと見え、たちまち青菜に塩のへなへな腰で、はいつくばい「平に、平にご内聞に」がやっとの挨拶、夜が明けぬ串茶屋を一目散で後にしました。

その後程なく串茶屋に支藩からお定めのお触れが回ってきたのですが、「士分登楼のときは、刀槍のたぐい下足帳場おあずけの事。放歌、高吟慎みの事。きざみ花以後お構いなきこと」きざみ花を取っていいとは、廻しをしても良いという事、いったい上坂何某は尾山城内でどんな大身だったのか、串茶屋ではこの噂で持ちきりだったといいます。

参照:湯女りんの日記(串茶屋ごよみ二)小柴あかね、池田巳亥一、収録、『串茶屋 遊女を偲ぶ(六)』遊女の墓保存会 


by gionchoubu | 2015-01-03 11:53 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)