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遊郭における廻しに関する一考察 その四

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石川県の小松に嘗て、串茶屋と呼ばれた遊廓があり、起源は寛永年間(1624~1644)の那谷寺再建の職工人を相手に創設された、遊廓の類型でいえば大造営型なのですが、その後は北陸道唯一の宿場型の遊廓として江戸期に栄え、明冶三十年北陸本線の開通により、明冶三十四年に唯一残った東木屋の廃業でその歴史に幕を閉じたのですが、ここは新潟以西で廻しをとらない遊廓地図では西日本に入ります。

ところが江戸期のある事件をきっかけに、この串茶屋が廻しをとることになるのですが、その事件の繊細をみれば、廻しを取り巻く環境がよく分かるので紹介させて頂きます。

まず前述の『全国遊廓案内』が世に出たのは昭和五年で、すでに串茶屋は存在しないのですが、他県の個々の遊廓に関しては、廻しの有る無しは遊客にとって重大な関心であるはずなので、案内書としての使命として、できるだけこれに触れらているのですが、実は石川県だけ廻しという言葉が一言も出ておりません。

ただし、松川二郎の『全国花街めぐり』の加賀温泉郷の温泉花街での情景や金沢の東の廓を描いた『廓のおんな』井上雪著の記述からの推察、あるいは『全国遊廓案内』の小木町遊廓の紹介で、通し花制(=廻しをとらない)という表現をしていますので、基本廻しは取らなかった県というのを念頭に於いて書いていきます。

以前私が串茶屋民俗資料館を訪れたとき、館長に頂いた非売品『串茶屋遊女を偲ぶ(六)』遊女の墓保存会発行の「湯女りんの日記」(串茶屋ごよみ二)小柴あかね、池田巳亥一共著が以下の記述の出典になります。

ちなみに、この時、すこし離れた串茶屋の遊女の墓まで車ご案内いただき、私も恐縮しきりだったのですが、驚くことに、いくつもの墓で、妓楼の主人家の墓に、お抱え遊女の名が刻まれています。

他の地において、たとえば歴史に名を残した遊女の墓とか、遊女塚とかは存在しますが、一般の遊女が墓に葬られ、さらに抱え主の墓に入るという事はありえない話で、普通遊女が年季の明けず死のうものなら、菰に巻かれ投げ込み寺に放り込まれるのが普通の扱いだった事を考えると、遊女を家族の一員とした、串の人々に驚きの念を持たざるを得ません。

『江戸遊里盛衰記』で渡辺憲司氏は、この地は浄土真宗の勢力が強く、遊女の墓の存在と存続に、この宗派の総墓形式の影響と、宿場町の遊里の運営の経済面における共同体意識を挙げておられます。

私に理由など分かるはずがないのですが、あるいは小松は山中、山代、片山津、粟津などの加賀温泉郷の近くで、芸妓とも娼妓ともどっちつかずの女が旅人の一夜妻を自然に遂げた土地柄で、遊女に対して他の地と別の感情をもつ土壌があったこと、さらに、徳川十一代将軍家斉が江戸文化の頂点を作りあげたころ、串でもこの機運に乗じ、お職(花魁)に琴、三味線、笛、胡弓、舞踊を習わせ、さらには茶の湯、生け花、和歌まで教え、中には詩歌から書画に達するお職まで現れたといった事を挙げて見たいと思います。

長きにわたって串茶屋は陸の孤島、都会では廓の芸能部門を芸妓にゆだね、遊女が芸事を習うなどとは昔の夢の時代、昔の都に思いを馳せ、ひたすら遊女に芸を仕込んだ串茶屋の人の遊女に対する想いは家族に対するそれに近いものだったかもしれません。~その五に続く~
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by gionchoubu | 2015-01-01 12:00 | 遊郭・花街あれこれ | Comments(0)