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by gionchoubu
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遊郭における廻しに関する一考察 その三

そもそも江戸の吉原が廻し制だったのはこの町の成立過程を考えれば一目瞭然で、その江戸城築城から町の整備にいたるまで、多くの職工人の労働が必要だったという背景があり、数的に男性優位の世界で、さらに参勤交代の制度もあり、遊女の絶対数の不足が成立の裏にあったのは間違いありません。
しかし、この制度がその後昭和の時代まで、東京式といわれ、中部地方から東日本、東北、北海道まで支配したのは、遊女の絶対不足というより、制度ありきの因習がそのまま続いたと私は考えます。
そして、廻しという制度が、遊廓史に於いて大きな爪痕を残した惨劇事件の背景にあるという説を唱えた、昭和四十六年刊、野村可通氏の『伊勢古市考』を紐解き、氏の言葉を借り、廻しという環境がいかに遊客の心を蝕んだか見て行きたいと思います。
その事件は歌舞伎でもお馴染み「伊勢音頭恋寝刃」の元となった実話で、時は寛政八年(1796)伊勢の古市全盛の頃、騒動の舞台は油屋で、その時遊女三十六人、料理人三人、下女二人、下男三人、子飼十二人それに楼主の夫妻と祖母がいた油屋という大楼で、この事件は一般的には、この大楼の名をとり油屋騒動といわれています。
この惨劇を起こしたのは、二十七歳の孫福斎という、浦田町で開業していた青年医師で、京都に遊学した経験を持つ、経済的にも恵まれ、将来を嘱望された美男子でもあり、こんな凶行とは無縁の境遇だったはずです。
ただしこの事件があまりに凄惨を極めた為か、当事者、関係者が後難をおそれ、一様に口を閉ざし、この青年医師の凶行の動機も、酒乱が原因と片付けられているのですが、この事件に関する芝居や関係書物を横に置き、野村可通氏は、事件後油屋が奉行所に提出した始末書と『立田紅於園調書』を元に解き放ちます。
事件の全貌は、斎が油屋のおこんという若い馴染みの遊女に会いにいったことが発端で、野村可通氏は斉がおこんに相当の恋心を抱いていたと推測しています。
この日斎は、仕事で悩みでもあったのか、おこんに酌をさせ、酒をのむのですが、酒が進むにつれて、ますます心が重くなり、さらににがりきった青年医師の癇に障ったのが二階で始まったドンちゃん騒ぎ、妓楼では見慣れた風景ですが、悪酔い寸前の斎には、耐え難いものでした。
そして、あろう事が、仲居のおまんが、襖越しに斎の酒の相手をしていたおこんを呼び出し、金払いのいい二階の客に連れ出したのです。つまりおこんを他の客に廻しました。
二階で遊客におこんを取られ憤懣やるかたない斎に聞こえるのはおこんの嬌声の混じった馬鹿騒ぎ、とうとう斎は座を蹴ると、おまんに「刀、刀」と怒気を含んだ声で呼びました。怒って斎が帰ってしまうとおまんは思って、満面の笑みで、言い訳がてら宥めたのですが・・・
刀を抜いた斎はおまんの左手指三本を傷つけてしまったのです。「人殺し~」と叫び逃げ惑うおまんを追いかけた斎は止めに入った下男の宇吉に切り付けると、次に下女のおよしに傷を負わせ、主人清兵衛の母親さきに脳天から切りつけ惨殺、次に二階から騒ぎを聞きつけ降りてきた、遊女おきしは首を切られて即死、つづいて遊女おしかも切られて重傷、阿波から来て遊興中だった二階の3人の客も重傷を負い、その後一人はこの傷で死亡しました。幸いおこんは難をのがれましたが、その後の消息は不明です。
この後まもなく、孫福斎は刀で自害するのですが、なにせ民衆の憧れ「お伊勢さん」の舞台古市遊廓全盛のの異常な出来事だったので、テレビも週刊誌もない時代に、日に五千人は下らないといわれた参宮客の口をかり全国を巡り、瞬く間に『切宝年菜種実』として大阪角座で初演され、現在の『伊勢音頭恋寝刃』になったというのです。
可通氏はこの廻し制度について「妓楼における遊客とのトラブルの主原因は“廻し”である場合が多い。“廻し”とは一人の女郎が何人もの客をたらい廻しにすることで、これが客の心象を害し、いかに客を半狂乱にするものであるかを、私は身をもって知っている。斉の場合も、或はそれでなかっただろうか、」
「(客)の報復手段も全く常軌を逸したものになり勝ちである。たとえば大小便をふとんに包んで帰るのはまだよい方で、ひどいのになると、炭火をふとんに包んで帰る悪質なものまである」と、この制度について述べています。
by gionchoubu
| 2014-12-29 11:26
| 遊郭・花街あれこれ
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