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by gionchoubu
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遊郭における廻しに関する一考察 その一

『全国遊廓案内』の遊廓言葉(さとことば)の栞では廻し制を「廻し花制とも云ふ。一人の娼妓が同時に二人以上の客をとって、客を廻って歩く事」と説明し、関東を中心に行なわれたので、一般的に東京式と言われると付け加えました。
この反対が通し花制で、客の廻しを取らずに、一人の客に一人の娼妓が附きっきりで居る事で、これは大阪式、あるいは上方式と言いました。
万延頃の『江戸自慢』という地誌に「娼婦ハ廻しと言事あり。一人の女郎にて一夜に客三四人も引受、彼方より此方、此方より彼方と順々廻り、乗せて下して又乗せて、渡し舟の如く、衆生済度ハ三尊の阿弥陀も江戸の女郎には及び難し。おいらん昼三の上物には此事なく、一歩以下の安物ニ限れり。」と説明しています。(明田鉄男著、日本花街史より)
それでは、この廻しによる、関東と関西の境界線がどこにあるのかを、昭和五年に発行された日本遊覧社発行の『全国遊廓案内』で収録された、当時の植民地を含め、総ての遊廓の廻しの有無が書かれているので調べてみました。
それによれば、北海道は総て廻しをとり、東北でとらなかたのが塩釜と一戸町
北館の二箇所、関東の58箇所で廻しをとらなかったのが平塚と大磯の二箇所のみで、あとは総て廻し制でした。
中部を見ますと、豊橋より東は廻しをとる東京式だったのですが、面白いのは境界に近い島田遊廓で、豊橋の東で基本廻しをとっていたのですが、島田は東海道五十三次の一つ、大井川が川止めに合えば、川向こうの金谷遊廓ともども、長逗留の客の需要が発生するので、当然女が足りなく、廻しは必要不可欠だった事でしょう。
岡崎の西を見ると、関西は勿論、中国、四国、九州そして沖縄までたった一つ、三重県を例外として、総て廻しを取りませんでしたので、廻しによる関東と関西の境界は豊橋と岡崎の間に有りました。
長野がすべて廻しをとったのですが、岐阜は取りませんでしたので、県境が境界線ということになります。新潟は基本東京式でしたが、新発田は馴染みであれば廻しをとり、中条は内緒でとっていたので、一応富山との県境が境界といえるかと思います。
三重県の遊廓がだいたい廻しを取ったのは、明らかに伊勢参りの一つの目的であった伊勢の古市にひっぱられた格好で、日本四大遊廓のひとつに数えられた古市では、遊女に対する、圧倒的な需要があったので、それこそ廻しを取らなければ廻らなかったはずです。
このように基本県単位で廻しをとる、取らないがあったのは、三重県などを除き、県単位で、それを規定した条例があったはずです。
外地に目を向けても、樺太の遊廓は東京式で廻しをとり、台湾、朝鮮、満州に沢山あった遊廓は押しなべて、大阪式、廻しを取りませんでした。
by gionchoubu
| 2014-12-24 12:11
| 遊郭・花街あれこれ
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