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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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橋本遊郭ぞめき その一

橋本遊郭ぞめき その一_f0347663_12214511.jpg
江戸時代初期の様子を捉えたとされる、大阪城天守閣蔵『大坂市街・淀川堤屏風』に、淀川にせり出した二階の座敷で、茶屋女が男に酒を注ぎ、その隣の茶屋でも茶屋女と戯れる男が描かれているのを見ると、橋本遊廓は京と大阪を結ぶ遊里として描かなければならぬ存在だったのでしょう。

橋本の芽生えは古く、神亀元年(724)聖武天皇が山崎に寺院を建立し、宝寺と称して勅願所とし、毎年奈良より勅使を差し遣わしたのですが、当時附近の川に橋が無かったので、行基菩薩が神亀三年山崎の橋を作り、この橋の東の袂を橋本の津と称した事から始まるとの事です。

程なくここに一軒の茶店ができ、通行人の休息所となり、茶汲女が遊女化したのは何時のことか、とにかく京都府内の遊里としては、一番歴史があると言えると思います。

ここから大阪に入れば、平安期から栄えた江口、神崎、蟹島の里があり、舟着場には、小船に棹さし、客船に媚を売り、旅客の無聊を慰める遊女がおりました。

橋本遊廓は西に天王山、東に男山に挟まれた景観の地であり、さらに岩清水八幡宮の門前町の要素もあり、遊廓の類型でいくと港型、宿場型、神社仏閣門前型、さらには観光地型、そして史実にも口伝にも乗りませんが、精進落しの口実でここにお世話になった人がいたと考えても不思議ではありません。

宝暦年間、俳人蕪村が宝寺より帰るとき「若竹や橋本の遊女ありやなし」の句を残しているのを見ると、長い江戸時代、橋本遊廓は或ときは大いに振るい、また或ときは寂れもしたのでしょうけど、蕪村が橋本といえば遊女と連想したぐらい有名な色里だったわけです。

明治維新前は西国大名上洛往還の要路にして人馬中継の駅場だったので、橋本駅と称される場合もありました。

橋本の遊女は雇い主の籍に入り、宗旨を同じくしたとの古文書あり、つまりお抱え側に手厚い保護を受けたわけで、小松の串茶屋で、遊女が楼主の墓に名を刻む例を私自身見た事はあるのですが、これは異例の扱いと思えます。

ただし、天保前の遊所番付ではかなり下の位、京都の五条橋下が同じぐらいの位置にあります。歌舞伎『双蝶々曲輪日記』あるいは人形浄瑠璃『引窓』の橋本の里もこの橋本遊廓の事です。
橋本遊郭ぞめき その一_f0347663_12221451.jpg

by gionchoubu | 2014-12-09 12:22 | 京都の花街・遊廓 | Comments(0)