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by gionchoubu
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遊廓、花街の類形 その十六

心斎橋筋より戎橋を渡り東が西櫓町(画像)相生橋より日本橋筋までが東櫓町。この西櫓町に一軒のみ営業はされておりませんが芝居茶屋の建物が残っています。
芝居茶屋型 浅草花街の前身の一つに猿若町の花街を挙げることができます。これは天保の改革で、堺町、茸屋町、木挽町辺に点在していた三座の歌舞伎、二座の芝居茶屋が猿若町に移されると、芝居の幕間の休憩場として芝居茶屋が利用され、ここで座敷に呼ばれたのが猿若芸者で、別名(芝居の)櫓下芸者とも言われました。
ちなみに現在の浅草花街は、この猿若芸者と、吉原の外にあった五十軒、田町、山谷堀辺の引手茶屋や舟宿に通った、山谷堀の芸者(堀の芸者)、もう一つは浅草観音の雷門附近で、酒や料理を提供する必要から生まれた、神社仏閣型の広小路芸者(田楽芸者)、この三つの芸者集団が一箇所に集まった複合型花街と言えるでしょう。
大阪に目を向けると、道頓堀に近年まで存在した南地五花街の一画、櫓町はその名の通り、寛永三年(1626)ここに芝居興業を許されてから大いに榮えた町で、大歌舞伎、操芝居、からくり芝居、浄瑠璃、舞、説教などあらゆる娯楽が道頓堀に集中すると、元禄十二年に、これらの観劇客の面倒をみる「以呂波茶屋」がこの地に立ち並びました。
これはいろは四十七文字にいくつかを足した数の芝居茶屋がその「い」なら「い」、「は」の字なら「は」の字を染めた紺の暖簾を掛け、五十軒ほど櫓町より九郎衛門町まで延びていました。
陰間茶屋型 こちらは衆道、即ち男色を売る遊所で大都会に発生しました。東京では湯島天神が有名で、東叡山の僧侶達の隠れ遊びの場として発展しました。
この型は基本、「舞台子」とか「色子」という歌舞伎の女形を目指す若衆で構成され、宝暦には芳町にも多数存在していました。客は男性に限らず、後家や大奥の女中などもおり、さらに、いわゆる男性客をとる娼妓も併せた色町になりました。
大阪は道頓堀五座の傍、坂町がこれに当り「陰間」といわず「若衆」と呼ばれていました。ただし大阪では若衆茶屋というものは無く、遊女の茶屋に呼ぶと、若衆は島田に大振袖、黒塗りの下駄であらわれたそうです。ただし僧侶に連れられて芝居見物などをするときは袴を着け、大小を差した小姓すがたで従うこともあったそうです。
京都では宮川町がこの型に属し、南座の裏にあたる宮川筋には若衆宿がつらなり、軒並みに屋号の入った軒行燈をかかげ、こうした御茶屋を子供茶屋、若衆茶屋、陰間茶屋とよび、叡山の僧侶も繁くかよい、元禄十四年、大石内蔵助にも、馴染の色子ができたという話も残ります。
紀州藩士本居内遠という人が弘化四年(1847)脱稿した庶民風俗史料に「(男色は)僧の女犯を禁ずるより出しは、おのずからの勢いなり。俗伝に空海よりといい伝う。中世以後、軍陣に婦女を誘う事を禁ずるより起こりて、応仁以来の乱世より武家にも執する輩多く、そのころよりやや盛になりたり、今治世となりて、その俗習残りて元禄享保などの頃までは盛なりしが~略~京は宮川町、浪華は道頓堀、江戸は禰宜町なりしが、後は葭町、芝明神社辺など、その群の売楼たり」と、世間周知の事だった様です。
参照:南区志・日本遊里史、上村行彰著・日本花街志、加藤藤吉著・京の花街、度会恵介著
by gionchoubu
| 2014-12-03 14:39
| 遊廓、花街の類形
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