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by gionchoubu
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遊廓、花街の類形 その八




温泉型 『色温論』に「湯女はもと諸国の温泉にありがもとなるべし」との下りが有り、信仰的な湯治が時とともに、享楽的なものに移り、この風がやがて、大都市の湯屋、風呂屋に受け継がれていったのでしょう。
『有馬温泉記』に「昔の湯女は白衣紅袴の装束を着け、歯を染め黛を描きて、恰も上臈の如き姿を為し、専ら高位公卿の澡浴せらるる前後、休憩の折に当り、座に侍りて或は碁を囲み、或は琴を弾き、又は和歌を詠じ、今様を謡いなどして、徒然を慰むるを以てわざとせり。」とあるのですが、その昔の湯女こそ、建久二年に(1191)僧仁西が有馬温泉を再興して十二坊舎を置いた後、その坊毎の大湯女、小湯女の姿だったのかもしれません。
√鉄砲かついで来た山中で、しゝも撃たずに帰るのか
山中節にあるこの獅子は二枚鑑札の芸妓のことで、その意味は山中温泉にきて、芸妓を一夜妻に迎えないのは何とも無粋な・・・といった意味合いになり、この獅子の語源が、さらなる昔、この里に隠れ住んだ落ち武者の妻や娘が、生活苦の為、浅黄地の一反風呂敷をカツギのように頭からかむって、獅子のような姿で湯女に身をやつしたのが所似だと言われています。
とすると、有馬の昔の湯女も、地女でなく、こういったルーツを持つ人達であったなら、今様を歌い、和歌に興じ、碁を嗜む姿も理解できます。
さらに北陸温泉郷の芸妓は、
√鉄砲かたねて来た片山津、鴨も撃たずに空もどり
粟津温泉節にも
√鳥は鳥でも粟津の鳥は、男よろこぶ機嫌とり、
芸妓が片山津では鴨、粟津では小鳥、さらに山代温泉では太鼓の堂、芦原温泉でも夜叉と呼ばれ、それぞれ異名を持つのは面白く感ぜられます。
戦後の温泉芸者というと、決していい意味では用いられないのは周知の通りですが、温泉芸者も玉石混合、湯河原温泉の芸妓・おかめさんの生涯を追った『温泉芸者一代記』井田真木子著を参考に、温泉花街の一例を辿って行きます。
大正十三年、おかめさん(船岡なか)は十七歳で湯河原に売られました。芸者は財産も、庇護者もない女性にとって、生きる為、数少ない仕事の一つであった。
当時芸妓の鑑札は実父母の印が必要だったので、一段下の遊芸の鑑札で榮屋(通称赤ペン)の経営者に対して、四年年季八百円の条件で証文に判を押す。店には酌婦さんの名で、客を取る四十代のお姐さんが多かったが、芸妓も客をとらされた。
当時湯河原には見番がなく、若い芸者は、稽古をつけてくれる姐さん芸妓の身の回りの世話をして教えを請うしかなく、おかめは、寸暇を惜しんで先輩の世話をして、その見返りで練習を付けて貰った。
昭和五年に湯河原にも見番が出来、おかめも遊芸から芸妓の鑑札に書き換えた。
見番が出来ると、ちゃんとした師匠に芸をつけてもらえたが、この費用は芸妓持ちだった。
東京の一流芸者は長唄なら長唄、常磐津なら常磐津一本の芸を磨きその道のスペシャリストを目指すが、温泉芸者はお客の要望に沿って何でも覚えなければならない苦労があった。
昭和七年頃から奥湯河原にも大型旅館が建ち始め、おかめも湯河原で独立する。
昭和十年から湯河原は急速に発展、全国の遊里も好景気で活況、昭和十三年にピークに達し、この傾向は昭和十六年の開戦まで続く。
湯河原の芸者数がピークに達したのは昭和四十五年頃、目に見えて下り坂になってきたのが、昭和五十六年頃で、おかめさんにとって、お座敷遊びがカラオケにとって替わられたという印象が強い。
名妓と呼ばれ、三味線の名手であったおかめさんが見てきた大正、昭和の湯河原の推移は、そのまま日本の多くの温泉花街が歩んだ道と重ね合わせる事ができます。
by gionchoubu
| 2014-11-14 16:14
| 遊廓、花街の類形
|
Comments(5)
宮川町も祇園東新地も島原も、芸妓と娼妓はハッキリ区別されていました。
また娼妓は、宮川町と祇園東は送り込み、島原は居稼ぎ。
ところがヤトナになると曖昧になります。
後年はむしろ後者がメインであったと聞きました。
いま世代的に、赤線時代の方々へのヒヤリングが重要と思います。
また娼妓は、宮川町と祇園東は送り込み、島原は居稼ぎ。
ところがヤトナになると曖昧になります。
後年はむしろ後者がメインであったと聞きました。
いま世代的に、赤線時代の方々へのヒヤリングが重要と思います。
0
>植松様 全く同感です。
さらに、全国には数えられないほどの町史、市史、村史なるものが存在するのですが、自分の土地に存在した花街・遊廓に数行しか述べていないもの、あるいは全く触れていないものまであり、税金の優等生であったこれらの存在で、学校を含む、公共施設が建った事を思えば、芸妓さん、娼妓さんにだんまりを決め込む町、村、市史にとうてい価値を見だすことは出来ないと思うのですが・・・
さらに、全国には数えられないほどの町史、市史、村史なるものが存在するのですが、自分の土地に存在した花街・遊廓に数行しか述べていないもの、あるいは全く触れていないものまであり、税金の優等生であったこれらの存在で、学校を含む、公共施設が建った事を思えば、芸妓さん、娼妓さんにだんまりを決め込む町、村、市史にとうてい価値を見だすことは出来ないと思うのですが・・・
廓育ち(昭和38年東映)。進藤英太郎扮する島原のお茶屋のお父さん。
『戦争中は職業軍人の慰安、戦後は日本女性の貞操の防波堤。さんざんにおだてやがって今さら売春禁止法とは何や!』というセリフがあります。
『戦争中は職業軍人の慰安、戦後は日本女性の貞操の防波堤。さんざんにおだてやがって今さら売春禁止法とは何や!』というセリフがあります。
>植松様 進藤英太郎、祇園囃子でも上七軒の旦那かなんかで出ておられましたね、なんとなくぎこちない演技(失礼!)がいつも妙なリアリティを醸し出す役者さんでした。
この映画の、若尾文子さんのお店だしのシーンで二人の男衆さんと祇園甲部のお茶屋さんに挨拶回りする様子が秀逸です。
この映画の、若尾文子さんのお店だしのシーンで二人の男衆さんと祇園甲部のお茶屋さんに挨拶回りする様子が秀逸です。
祇園囃子は中風の父親ですね。
噂の女、赤線地帯など、廓の映画には不可欠なお方です。
戦前の『祇園の姉妹』は旦那役で出演されています。
現存フィルムはおもちゃが車から落とされる場面が検閲でカットされているのが残念です。
戦後のリメイク版は中村玉緒の舞妓がパチンコする場面に驚きました。
噂の女、赤線地帯など、廓の映画には不可欠なお方です。
戦前の『祇園の姉妹』は旦那役で出演されています。
現存フィルムはおもちゃが車から落とされる場面が検閲でカットされているのが残念です。
戦後のリメイク版は中村玉緒の舞妓がパチンコする場面に驚きました。
