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遊廓、花街の類形 その七

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                     勝山髷の宮川町の舞妓さん
湯屋及風呂屋型 後編 江戸の町に於いて、公許の吉原を差し置いて、湯女が跋扈し得た背景には、気軽、手軽、お安く遊べる、といった所が受けたわけで、町人のみならず武士も大小差して出かけるので、事態を重く見た公儀は寛永十四年(1637)風呂屋に於ける湯女を三人に制限し、これに背いたものには吉原大門の外で刑に処することにしました。

それでもこの風は改まらず、慶安元年(1648)禁令により江戸中の風呂屋営業停止したものの、承応元年(1652)風呂屋一軒につき女二人制限の令が出ているのは、慶安の禁令は有名無実だったとしか考えられません。

明暦三年(1657)幕府はとうとう江戸市中二百軒あった風呂屋を取り潰し、その遊女を新吉原に移しました。

しかし、取り締まれども、取り締まれども風呂屋は無くならなかったのは、新吉原成立後、寛文十年(1668)またもや大検挙を行い風呂屋七十四軒を潰し、遊女五百十二人を吉原に送ったことで明白です。

面白いのは、結局人々を斯くまで引きつけた風呂屋の魅力を新吉原が取り入れたことで、風呂屋者で形成された伏見町、堺町を中心に、店の構造を風呂屋作りにして、大格子を付け、庭も広く、店の前に腰掛を付けたりしました。

さらに、吉原の花魁には、気に入らない客を断ることが出来たのですが、風呂屋女は客を振ることがなかったので、(振らない)散茶という言葉が生まれ、この影響を受けた吉原の花魁にも、意気とか、張りといった気風が薄れていきました。

この上猶、江戸の町の風呂屋の撲滅叶わなかったのは、天和三年(1683)さらなる大検挙が行なわれ、湯女ら三百人が吉原送りになった事でわかります。

この時期一世を風靡したものに、丹前風呂の一つ紀国風呂から出た勝山がいます。勝山は寛永頃はやった女歌舞伎よろしく男装で現れ、この風俗が逆に武家の若者に受け、皆この風を真似たといいます。

結局勝山は、上記の流れで丹前風呂から吉原に移るのですが、類なる美貌に、諸芸にも通じ大評判をとり、後に現在、京の舞妓が祇園祭に結う「勝山髷」の由来となりました。

「勝山が吉原の道中、毅然とした態度で左右を見ることがないという噂を聞いた唐犬権兵衛という侠客が、仲間に自分が勝山を振り返らせようと約束しました。その夕方、皆で吉原へ行き、道中の勝山の後ろに廻った権兵衛は、こともあろうに勝山の髪の元結を切ってしまったのです。勝山の髪ははらはらと解けてしまったのですが、彼女は少しも慌てず、近くの茶屋で解けた髪を丸く巻き上げ簪で留め、道中を何事も無かったように続けました。この髪型が江戸中の評判となり、女は皆これを真似たといいます。」

これは『甲子夜話続編』に某学士の話として載っており、真偽はともかくとして、面白い逸話なので紹介させて頂きました。
f0347663_10580612.jpg
絵図で見ると、本来の勝山髷は頭上に大きな輪を描くのですが、これでは寝るたびに潰れると思われ、画像の様な現代舞妓の勝山になったのだと推測します。

参照:遊女・西山松之助編、日本遊里史・上村行彰、秘志生態風俗選10・林美一


by gionchoubu | 2014-11-10 11:03 | 遊廓、花街の類形 | Comments(2)
Commented by 植松 at 2014-11-10 17:09 x
舞妓さんによると「勝山は重たい」とのことです。
Commented by gionchoubu at 2014-11-11 12:18
>植松様
どうして勝山髷を祇園祭りに結うのか・・・昨日調べてみたのですが分かりませんでした。