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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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遊廓・花街の類形 その三

遊廓・花街の類形 その三_f0347663_12000191.jpg
港型には海港型、河港型、軍港型などが考えられるのですが、軍港型については後日述べます。

海港型 延宝六年(1678)の『色道大鏡』に載る全国二十五箇所の著名遊里を見ても、江戸の吉原、大阪の新町、京都の島原と並び、越前三国松下、同敦賀六軒町、播州室小野町、芸州多太海、長門下関稲荷町など凡そ半分がこの港型遊里に分類されるのです。

そもそもこの下関稲荷こそ、伝説とはいえ、遊女発生の地といわれ、壇ノ浦で敗戦した平家の官女たちが、自らを売ることによって、生計をたてたという伝承があり、この土地で薄い桜色の小鯛をこの伝承の官女に見立て、小平家と呼ぶ慣わしがあると聞きます。

さらに下関で遊女をヒメと呼んだのは、平家の姫君たちが緋色の袴で色を売ったという伝承もあります。

又、浄土宗の開祖法然上人と、上人に帰依した播州室津の遊女友君の話は涙をさそいます。

当時の輸送は完全に水上輸送が殆どで、人も金も、そして遊女も港に集まったのは当然で、今はその名を聞くことも無い、石川県の福浦などは、奈良時代は若狭に次いで北陸第二の港として栄え、渤海交流の拠点として、さらには江戸期に北陸で唯一、西廻り航路の指定を受け、明治五年には、日本最古の灯台ができた程の良港で、当然多くの遊女を抱えていたといいます。

こういった遊里は基本港の陸にあったのですが、鳥羽を中心とした三重の港や瀬戸内海の一部で、オチョロ(舟)という小舟に乗って沖に出た船上遊女が沢山おりました。

鳥羽、安乗(あのり)、的矢、渡鹿野(わたかの)、三箇所(さんがしょ)、浜島、小浜などでは、彼女達を志摩のはしりがね、と呼ばれました。

宿場で幕府の手前、飯盛女と体裁をつくろったように、はしりがね達は味噌汁の実として青物を売る“菜売り”の名称を得、官令で指定地以外でこういった商売が出来なくなると姿を消しました。

広島の御手洗を訪れたとき、江戸時代のお茶屋を保存した若胡子屋にはおちょろ時代の写真が掲げられ、おちょろ舟のミニチュアを作り続ける船大工さんがおり、おちょろに乗った遊女は終戦後も残り、石炭舟に通ったとの事です。

河(湖)港型 平安時代にまで遡れば、大阪の江口の観音、中君、小馬、神崎の河菰姫、孤蘇、蟹島の立牧が河口の港の高名遊女なら、近江の国琵琶湖の朝妻舟は烏帽子水干姿に鼓を置き、手には末広の白拍子は謡曲の世界、古の川であれ湖であれ海であれ、港には伝説とも実話ともつかぬ遊女の話が多くのこされます。

江口、神崎、蟹島は旅人が海船から河船に乗り換えた船着場で、その繁華は大変なもので、遊女の数も多く存在しました。特に関西にこの河港型の遊所が多く、大阪の新堀、三軒家、伏見の中書島さらに運河港になりますが、先斗町も河港型と宿場型の複合型と分類できると思います。

又、島原の揚屋(お茶屋)、新艘(しんぞう、太夫の妹女郎)、水揚、引船(太夫の付添)など、古の水辺の遊女からきたと思われるこれらの言葉から考えても、古来、遊女と港には強い結びつきが有りました。

遊廓・花街の類形 その三_f0347663_12004121.jpg
参照:江戸遊里盛衰記、渡辺憲二・志摩のはしりかね、岩田準一

*最初の画像は船大工の宮本国也さんで、ブログの趣旨を説明させて頂き、掲載を許可頂いております。

by gionchoubu | 2014-10-30 12:15 | 遊廓、花街の類形 | Comments(0)