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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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遊廓・花街の類形 その二

遊廓・花街の類形 その二_f0347663_14561580.jpg
                   広重 東海道五十三次 御油宿
しかし、何といっても一番遊所が出来たのは矢張りA の人が集まるところだったのは間違いなく、以下その代表の一つ、宿場型として分類したものの中で、東海道五十三次だけとって見ても、『近世風俗志』に「官許の妓院あるは駿府の弥勒町のみ、その他は飯盛女なり。五十三駅のうち売女なきは、草津、石部、水口、坂下なり」とありますが、実際草津に水口にも宿場が育んだ遊所はありましたので、これに他の街道を加えると、日本全国宿場型遊里だけでも、二百では済まないはずです。

宿場型 宿駅はもともと公用伝馬の通じの為に幕府が設けたもので、私の旅行は頭に有りませんでした。幕府がずるいのは、宿場運営には自ら金をださず、義務、労役、維持を宿場に一方的に課したことで、宿場としては旅籠経営ぐらいでは到底立ち行かず、殆どの宿場では、遊里渡世をして凌いでいくしか生きる道は無かったのです。

そして幕府の方は表向きには遊里を禁じながらも、飯盛女の名目でこれらの女を事実上黙認しました。これはまさしく日本人の本音と建て前の特性に通ずるもので、現在も、パチンコなどで同じような歪を見る事ができます。

江戸に目を向けると、東海道の第一宿が品川で、参勤交代の半分以上はこの宿駅を通過したとのことで、栄えに榮えました。江戸落語の「居残り左平冶」やめ組の喧嘩で有名な島崎楼もここの話で、戦後まで品川芸妓としてその名を馳せました。

新宿も、宿が示すように、もとは甲州街道の基点として飯盛女が一夜の客をとる旅籠町が起源で、後に権力や暴力の渦巻く町となり、鈴木主水と橋本屋白糸の物語を生みました。

その後、新宿は日本有数の繁華街となり、大正七年に新指定地に移りましたので、起源は A即ち新宿一丁目から三丁目がこれにあたり、移転後の新指定地は Cということになります。

一方奥州道第一の宿駅が千住で、『江戸図解集覧』に宿屋が一四一軒、内八二件に飯盛女がおり、もう一つ中仙道の最初の駅が板橋で『中山道宿村大概帳』によれば「所々に花魁店前に並び、紅粉をよそほふて花簪をさしつらねて、美艶をかざる。格子のうち、ゆきかう旅客をとどめて、あれこれと興ずるもの多し」という状況でした。

もう一回『近世風俗史』に登場して頂くと「江戸にて駅妓を宿場女郎という。三都ともに駅を宿という。今俗の風なり、江戸の四口おのおの娼家あり。品川を第一とし、内藤新宿を第二とし、千住を第三、板橋を四とす。これ妓品をいふなり。」

この宿場形花街の繁栄の上に、我々の現在の暮らしがあるのを決して忘れてはいけません。

参照:宿場町、芳賀登・日本花街誌、加藤藤吉


by gionchoubu | 2014-10-28 14:57 | 遊廓、花街の類形 | Comments(0)