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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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墨染_f0347663_16250231.jpg
都林泉名勝図会、墨染、南新町の様子・この街道を右に行けば墨染寺、左が京阪線路のはずです。旅人の傘を奪い宿に引き入れる女がいます。又大枡屋の二階では夜も更けないのに三味線で宴会をしているグループ、伊勢屋の二階では街道の賑わいを見る遊客と妓がいます。芝居小屋もあります。有馬稲荷の鳥居が見えますが、大分前に無くなりました。
墨染_f0347663_16255298.jpg
上記の絵図あたりです。有馬神社は疏水付近のはず。

飯売女、飯盛女、飯炊女、出女、留女、おじゃれ、たぼ、柱負い、夜馬、足洗女、伽やろう、道の者、くぐつめ、土地により場所により、所謂宿場女郎にこれだけの異名があるのでの分かるように、江戸時代の街道には、旅人の袖を引っ張り、宿に引き込む女がいました。

お江戸日本橋と京都三条の東海道五十一次には総ての宿駅にこういった遊女がありましたし、中仙道も多くの宿場には赤前垂れをして渡世をするものがおりました。

前回の撞木町のすぐ近く、伏見から京都への交通要所であった墨染めはこの宿場町型の遊里と言ってよく、全国的にはごく普通の遊所ですが、京都では毛色の変わった遊び所でした。

お客は京都、伏見間を往来する町人や東海道からここを経由する旅人達ですが、街道型の遊里としては上記のように全国何処でもあった下級遊里の一つで、遊所番付に載ることもありませんでした。

ただ、あるいはこの風景が京都の人に面白く映ったのか『都林泉名所図絵』で「深草里墨染花魁」と紹介されています。又『東海道中膝栗毛』でも「墨染といへる所にさしかゝりけるが、爰はすこしの遊所ありて、軒毎に長簾かけわたしたるうちより、顔のみ雪の如く白く、青梅の布子に、黒びろうどのはんゑりまで、おしろいべたべたつけたる女、はしり出て、弥次郎が袖をとらへ」との下りがあります。


元禄十二年巳卯年、南新町、七軒町、墨染横町の三町に茶屋株を得て、この頃は茶立女を置き二十五軒の茶屋で営業していたようです。天保の改革で茶屋は禁止され、明治まで旅人宿や商人宿の名目で遊女を置きました。


明治五年写『京都府下遊廓由緒』にこの遊所の簡単な沿革と地図がのるので、一廓として認められていた事になります。

明治十一年の『都の花競』には七軒町に小浅(21才)南新町に富鶴(20才)、伸吉(21才)の芸妓が載り、娼妓は南新町に八人、墨染横丁に一人、七軒町に二人の登録がありますが、この規模では見番の様な組織は無かったかもしれません。


大正四年発行の『京都府誌下』によれば大正二年,貸座敷5、芸妓1、娼妓18とあります。


緑江さんの聞き取りによれば、京阪の線路のところに杉野屋、疎水の所に上田屋があったそうです。日露戦争後は撞木町に吸収され今は面影もありません。

実は現祇園東で地方をされているお姐さんがいらっしゃり、一度座敷でお話を伺ったのですが、自分の生まれた町が花街だった事は全くご存知ありませんでした。

参照:京都市の地名、平凡社・猥褻風俗辞典、宮武外骨、京都遊廓見聞録、田中泰彦編


by gionchoubu | 2014-10-20 16:32 | 京都の花街・遊廓 | Comments(4)
Commented by 植松 at 2014-10-22 08:49 x
墨染はまったく存じませんでした。
中書島は最近にステンドグラスやタイルがあったお家がなくなり、
さびしく思います。
西口克己「廓」の戦後編のナマナマしさは衝撃でした。
Commented by gionchoubu at 2014-10-22 12:47
>植松様
以前から林又一郎が撞木町の西に造ったという、伏見最初の遊里を探しています。
たぶん伏見城造成のため当て込んだものだとおもうのですが・・・
長建寺のおしょうは造酒所の近くとおしゃっていたのですが・・・
Commented by carnappopper at 2020-08-16 20:03 x
こんにちは。写真に写っている八百屋です。
都林泉名勝図会ではわかりにくいですが、淀川両岸一覧や都名所図会をみると、道は有馬稲荷で北向きと西向きに折り曲がっているように見えます。
そうであれば伏見街道の直違橋通りと墨染通りとの角と推測されます。
写真の疏水からもう少し東側にある交差点(今は中華料理福園)に有馬稲荷があったのかも知れません。南新町ということでもありますので。
なお、八百屋の土地は昭和60年代にある女性から購入しました。花街の関係を思わせるお名前でした。
Commented by gionchoubu at 2020-08-22 16:45
コメント有難うございます。ここに来た際お店でお伺いしようかと思いましたがご遠慮させて頂きました。淀川両岸一覧や都名所図会にも載っているのは知りませんでした。
墨染寺も合わせ名所だったのですね。