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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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撞木町

撞木町_f0347663_11333975.jpg
   撞木でなく、正式には橦木町の様です。

『山州名跡伝』に「在墨染南一町余、撞木町と号す、町の形丁に類するの云ひ也、初の名は夷町と号す」実は秀吉の時代林又一郎がもっと西にあった田町(現醍醐田町?)に伏見最初の遊廓を作ったのですが衰退、その後「渡邊掃部、前原八右衛門と云う者、時の奉行長田喜兵衛、柴山小兵衛に乞得て再興す、今の所也、時は慶長九年十二月二日也」1604年の事です。

江戸時代、撞木町(夷町)は官許の遊所として全国、江戸の吉原、京都の島原、大阪の瓢箪町(新町)長崎の丸山と併せ二十四の一つに数えられています。『洞房語園』

六条三筋時代、町奉行が再三注意すれど、公家が撞木町に遊びにくるので、当時の所司代松平紀伊守は自分の利の紋を灯燈に付けて撞木町の揚屋に夜掲げたので、公家連中は青ざめ撞木町通いを止めたそうです。

大石内蔵助が祇園で遊興した記録は無く、実は撞木町で小さく遊んでいたというのが本当に様です。通ったという揚屋も祇園の万亭(一力)でなく、撞木町の編み笠茶屋の万亭ですので、史実と歌舞伎は大きくかけ離れたものと言わざるを得ません。

大石はここの笹屋清右衛門という青楼の二階座敷の鴨居の欄間に、戯れで山の姿を彫ったという口伝や、又この店で酩酊のうえ、天井に三十六文字の辞を書き、天明時代に屏風にされ、その後大阪の筧家に保管されていたとの話も有るですが、その後どうなったかわかりません。

大石の逸話が広まり、撞木町での密謀は成就するとの噂が立ち、それにあやかろうと登楼する者も多かったようです。又『東海道中膝栗毛』にこの廓の遊女が「桃山のけつね」として紹介されているので、これが刊行された享和二年(1802)には知名度もあったと思われますが、天保前の遊所番付にその名を留めなかったのは、規模が小さかったことも理由でしょうが、全国的な知名度も薄れてきたのでしょう。

ただし、天保の改革では島原を除いて京の遊廓は祇園だろうが、上七軒であっても総て島原に移転するか廃業のお達しを受けるのですが、この撞木町と中書島はお咎め無しだったのは、この二箇所が官許の遊里として相当の歴史を持っていた為に外なりません。

茶屋の数は延宝六年(1678)で揚屋五軒を含む十六軒程の家が『色道大鏡』にのり、
明治五年には十七軒が営業していました。明治十七年の『都の花競』には六軒の営業主と小梅という娼妓さんの名が認められていました。

大正四年発行の『京都府誌下』によれば大正二年,貸座敷11、芸妓2、娼妓45とあります。

昭和四年に夷町、恵比寿町とも表記されていましたが、撞木町を正式町名にしました。

昭和二十年には三十軒の茶屋、解散頃の昭和三十二年には九軒で接客婦は四十名だったといいます。

解散の少し前、花街研究家の加藤藤吉は『日本花街志』で撞木町に一項を設け
「紋章は撞木町を宣伝した大恩人、大石内蔵助良雄の功労を記念し、二つ巴の家紋を誰にも断らず借用しているのだというが、旧京阪墨染に近く地の利は好いのだが、衰退の限りを尽くした花街で芸妓無し、僅か十二、三軒の店に三十人の遊び女が追い遣られる日を待っている始末である。」と述べています。

参照:京の地名、平凡社・京都遊廓見聞録、田中泰彦編

撞木町_f0347663_11341026.jpg
                 笹屋の跡地に建てられた大石にちなむ碑


by gionchoubu | 2014-10-18 11:36 | 京都の花街・遊廓 | Comments(3)
Commented at 2014-10-21 12:46 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by gionchoubu at 2014-10-21 20:01
>植松 様
コメント頂き有難うございます。
おやまという言葉はもっと昔の言葉だと思っていたのですが、昭和四十年代に生きていたとは驚きました。
実は今年何十年ぶりで、祇園東におばけが一組でたのですが、そのお化けは雛菊さんと美晴さんで、つね和さんにも来て頂きました。
今、祇園東お茶屋組合に眠っていた、昭和十一年のねりものの六枚の版木から版画を再現しようと苦心しています。出来たら何らかの形でご覧いただけると思います。これからも宜しくお願いします。
Commented by 植松 at 2014-10-22 08:45 x
懐かしい方々です。
祇園東は遠のいてしまいましたが、ことしの祇園祭は拝見します。
ねりものの版木は貴重ですね。
ぜひ拝見したいです。