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by gionchoubu
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助六の由来
元和年間、六条三筋の丹波屋の遊女であった揚巻は容色・才芸に秀でており、助六とは相思相愛の仲でした。ある日助六は陶要人(すえかなんど)の陰謀を知り、要人の一味と酒を飲む機会があったのでその非を説きました。
しかし要人の仲間は激昂して刀を抜いたので、助六は数人を倒し、一人を捕まえ奉行に差し出したのですが、これを恨んだ要人達は助六が酒を飲んでいるときに不意をうって殺してしまったのです。
これを悲しみ泣かし明かした揚巻は、助六の友人灘波屋治助に助太刀を頼み、六条三筋で要人が豪遊した時、治助が隙を見て羽交い締めにすると、揚巻は手にした懐剣で要人を刺し、見事敵をとりました。
面白いのはここからで、今コンビニでも買えるお寿司の定番で「助六」というものがありますが、この由来が「揚巻」にあると言うのです。つまりアゲの稲荷寿司とマキ寿司のセットでアゲマキ=助六というものです。
もう一つ、この頃廓で出来て、居酒屋などで出会う言葉を紹介します。
江戸初期、六条三筋に来た遊女候補生は、徳川に敗れた豊臣側の武家の娘もおり、彼女達の折り目の良さが、傾城、太夫たちの質を高め、客筋もそれに答えるものでした。
小さい頃から、先輩遊女の下で、禿として諸芸、諸道を習い、和歌俳諧にまで通じ、これを習得するには何年も掛かるのですが、まれにこのコースによらず、つまり禿時代を経ず一本立ちする娘もいました。
彼女達は突出しと呼ばれ、姉さん遊女でなく、置屋の楼主や妻が教育しました。
居酒屋で最初に出てくる「ツキダシ」の語源です。
ちなみに時代は分かりませんが、料理屋で出てくる「おとうし」や、皆さんおすし屋さんの言葉と思っている醤油を「ムラサキ」と言うのも実は廓(さと)言葉です。
by gionchoubu
| 2014-10-16 14:46
| 京都の遊里
|
Comments(3)
Commented
by
植松
at 2014-10-22 01:59
x
歌舞伎の助六は江戸のイメージですが、
上方の芝居『紙子仕立両面鑑』には清水の場に助六が出ます。
珍しいお芝居です。
わたしは昭和62年10月に国立劇場にて13代目片岡仁左衛門さんの上演を見ました。
上方の芝居『紙子仕立両面鑑』には清水の場に助六が出ます。
珍しいお芝居です。
わたしは昭和62年10月に国立劇場にて13代目片岡仁左衛門さんの上演を見ました。
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Commented
by
gionchoubu at 2014-10-22 12:28
Commented
by
植松
at 2014-10-22 14:33
x
おっしゃる通り、今年は宮川町(藤十郎の恋)、祇園町(七段目)と地元の花街ですね。
最近に廃業されたお茶屋桝屋さんが藤十郎の恋のモデルと聞いたことがあります。
宮川町は今のうちに古いことを聞いておくべきと思っています。
とくに一見茶屋のことは50年以上前ですので、70歳以上でないと分からないと思います。
祇園東はおふくさんというおでん屋さんが廃業されて寂しいです。
最近に廃業されたお茶屋桝屋さんが藤十郎の恋のモデルと聞いたことがあります。
宮川町は今のうちに古いことを聞いておくべきと思っています。
とくに一見茶屋のことは50年以上前ですので、70歳以上でないと分からないと思います。
祇園東はおふくさんというおでん屋さんが廃業されて寂しいです。