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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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下の森

下の森_f0347663_11351164.jpg
六軒町通りをはさんで西が下の森、東がが五番町でした。ただし明治以後、五番町は表通りは外れ、1~2軒奥に区域を定められていました。

近世、北野天満宮の門前一帯を下ノ森とよんだのですが、下ノ森遊郭は上七軒と五番町の間にありました。場所は新建町、西町、東町、三軒町、北野商店街の西半分から一条通りに出て、北野警察署に至るまでのごく狭い区画になります。(画像は私の想像ですので細部に違う所はあるでしょう。)

その歴史を辿ると

元禄~正徳(1688~1716) 三軒町(松下三軒町)に六軒の茶屋があったと『京都御役所向大概覚書』にありますが、水茶屋だったと推察されます。

公的には天明元年(1781)社家長屋町(徳勝院長屋、上七軒の西)の水茶屋株が分けられて遊里が成立したことになります。(京都府下遊廓由緒)

宝暦十一年(1761)島原の支配下にはいり、寛政二年(1790)他の非合法遊里の遊女とともに遊女狩に会い一時営業停止になりましたが、同年、東町と西町にのみ営業を許される。

享和元年(1801)新建町も遊里として公許の地になりました。

文化十年(1813)上七軒より東町に出店と芸者取り扱いが許されます。

『東海道中膝栗毛』に「北野の下の森といふにいたる。ここはいたって賑やかで、芝居などもあり、見世物、豆蔵、よみうり、講釈、又、空茶釜とゐみやうせし、よしずばりの水茶屋ていなるもの、ところどころにあり」という記述がありますが、この空茶釜は京の北野にいた私娼の異名です。

天保前の諸国遊所競(相撲番付に模したもの)では丁度真ん中ぐらいの位で、ほぼ同時期だされた同じような番付けには下森(花百文、よる九百文)と書かれ、結構上位に位置します。

以後、天保の改革で一時廃止も嘉永年間に復活、以後明治になり京都府の管理下に入りました。

下ノ森遊廓の記録は少なく明治十一年出版の『都の花競』にも芸妓、娼妓とも名が載りませんし田中緑江さんも触れていません。

上京区九番組下之森東町の図に業者十四軒、同西町の図に十三軒、上京九番組下之森三軒町の図に茶屋井上新次や吉田琴など十一軒、上京九番組下之森新建町之図に店附抱女、川上竹次郎、同、上田幸三郎、同、山口卯之助など七軒が描かれており、それを参考に版図を作成しました。

ちなみに、この図は明治になって地元の業者が官に請われて提出し『京都府下遊廓由緒』の付録なのですが、これによると下ノ森遊廓は北野という大きな括りで上七軒組合の支配を受けており、「下之森は嘉永五(1852)壬子二月願済致し上七軒と一体ニ相成候哉ニ相見候事」の文があります。

以前五番町で書きましたが、江戸期芸妓中心だった五番町に明治以後娼妓を供給したのがお隣の下の森であったという記録があります。

五番町の区域が大正元年八月に変更されましたので、その際下の森は消滅したのだと思います。昭和の始めには、まだ当時の風情を留めていたそうです。

参照:京都市の地名



by gionchoubu | 2014-10-14 11:43 | 京都の遊里 | Comments(0)