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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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遊女歌舞伎_f0347663_15091938.jpg
                         南座
大阪城天守閣蔵の『洛中洛外図屏風』に六条三筋の遊里が描かれているのですが、面白いことにその内の一軒の暖簾に、輪違紋が描かれています。ただし嶋原の輪違屋さんの創業は嶋原の地で元禄年間(1688~1704)との事なので偶然の様です。島原の角屋は起源を柳町二条時代に持ち、六条三筋時代を経て、今の島原に移りました。

この屏風を見ると、屋根は瓦葺の屋形もあれば、板葺きに石を置いたものもあり、皆低い二階をもっており、このころあるいは遊女置屋がなく、所謂後年の居稼営業で、妓楼の二階に遊女を住まわせていたのかもしれません。

軒先で唐輪髷に鉢巻をして床机に腰掛け、三味線の胴の皮を地面に対して垂直に抱える今の奏法でなく、胴の皮を膝の上に、地面に平行に置く古い形式の三味線を弾く遊女が目を引きます。客の一人は二本差しの侍を含めいい身なりの
客が多いようです。

『吉野伝』によれば、主な遊女屋として挙げられたのが林屋、柏屋、宮島屋、永楽屋、八左衛門屋、五郎左衛門家など、著名な遊女として「三筋七人衆」の吉野、対馬、土佐、三笠、小藤、葛城、初根太夫、「六条四天王」と称された万戸、淡路、野風長島太夫でした。(日本花街史)

この六条三筋時代に四条河原町に舞台を作り、傾城を出演させ、今でいうレビュー形式の演劇で爆発的な人気を誇ったのが遊女歌舞伎です。演者は総て六条三筋の遊女で、興業主として佐渡島某、そして六条三筋に加わらなかった林又一郎が有名です。

ちなみに、興行権を公に認められた人たち「名代」、観客席が芝生の上だったので「芝居」傾(かぶ)いた扮装で演じたので「歌舞伎」さらに遊女の最上級の称号で、今でも浄瑠璃などの名人の称号として残る「太夫」などの言葉もこの時代由来のものとなりました。

嘘か本当か、『孝亮宿禰日次記』によれば、十七世紀後半、三十五万人といわれた京都の人口で、1608年の興業に数万人の観客が集まったという記録がありますし、『京童』に「皆人六根をなやまし、心を六塵にとらかし、宝をなげうち、あるいは父母の養いをかえりみず」という民衆の熱狂ぶりを伝えています。

さらに『慶長見聞録』にも「今ようをうたひ、舞女のほまれ世に聞こえ、顔色無双にして、袖をひるがへすよそほひに、見る人心をまどはせり~略~かかるいつくしき立ちすがたに見ほれ迷はぬ人は、ただ鬼神より猶おそろしや」と人々の陶酔を伝えています。

しかし、この民衆の狂熱は為政者としての幕府が最も恐れたもので、遊女歌舞伎は他の女性による芸能を含め、寛永六年(1629)前面禁止となり、以後男性による女形という形に引き継がれることになったのです。

出雲阿国が京都で歌舞伎踊り演じてわずか二十六年のことでした。


by gionchoubu | 2014-10-10 15:10 | 京都の遊里 | Comments(0)