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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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祇園ねりもの 三十九

祇園ねりもの 三十九_f0347663_15390122.jpg
昭和三十二年のねりものより揚巻
「本年のねりものを見ますのに宣伝不足の憾があり新聞も余りとり上げませんでした。これは見るものの少なかった明治時代と違い、時代のせいとも考えられます。所望の振り付けは余りに簡単すぎました。それに毎回役員だけ八坂社へお詣りしているそうですがねり子も拝殿で舞うて神に奉納するとよいと思います。」

昭和三十五年、祇園東新地によるねりものの後、田中緑江氏はこう述べ『祇園祭ねりもの下』を結びましたが、それ以後平成二十六年まで54年間一度もねりものは行なわれていません。これは明治二十六年より昭和十一年までの43年のブランクを大きく超えるものです。

今思えば、仮に享保二十年(1735)頃にねりものが始まったとして、中断されたのはいつも騒乱、天災、戦争など世の不穏が原因、即ち、天明の飢饉、天保の改革、安政の大獄、幕末の動乱、明治に入っても、日清戦争、日露戦争、関東大震災、二度の大戦、そして昭和十年のねりものが流れたのも、大雨による鴨川の氾濫でした。つまり祇園ねりものは平和、平穏、安寧の象徴ともいえるのです。

何とか祇園ねりものの復活を見たいという思いからこのブログを書いてきました。その思いが通じたのか、先週京都新聞が取材にこられ、祇園東御茶屋組合にて発見された昭和33年を中心に撮影されたねりものの写真に大きくスペースを割き、立命館大学の加藤洋政先生と併せ、復興を願う者として、私のコメントも載せていただきました。

そして昨日、単身京都市産業観光局観光MICE推進室を訪れ、再興のお願いに参りました。京都市はおおきに財団を傘下にもち、五花街に大きな影響力を持つという事もありますが、ねりものの際の交通規制を含め、巨大な発信力を有する行政の力を借りないことには平成ねりものの復活は不可能なのは明らかです。実際昭和のねりものも京都市観光課が中心となり43年ぶりのねりものを邁進させたと聞きます。

さらに、本年に祇園会の後祭りが復活したこと、来年の後祭りの話題作りとして、これ以上の素材はない、これ以上のタイミングはないと考えて訪問しました。

もうひとつ、今ならまだ、昭和のねりものの記憶が残る方の聞き取りが可能で、裏返せば、十年後にはもうこれらの方の運営に関する助言は難しく、再現は無理だという危機感も、今のタイミングで市に提案した大きな動機となりました。

昔のように個人が万金をかけ、衣装に大枚をかなぐり捨てて、というねりものは到底無理ですが、たとえば祇園にこだわらず、五花街から二人づつ練り子が出せればねりものは成立しますし、一花街の負担はびっくりするような物にはならないはずです。八坂神社には、当時竹中工務店が制作した二台の屋台も保管されております。

祇園甲部、東だけでなく、上七軒もねりものは有りましたし、花街史以前としても宮川町もねりものを記録では二度出しています。実現は催されませんでしたが、戦前のねりもの復興の機運があったとき、先斗町もお揃いの着物を誂えこれを応援しようとした話もあります。衣装も弗旦が昔の夢なら、今風に企業にスポンサーを募るという方法もあります。練り子の提灯にスポンサーの名を入れれば、文化事業の再生という面でもイメージアップにつながり、美術面的な魅力と、他に類をみない祭事として世界中に発信されるはずです。

日が落ち、歩行者天国となる四条大橋から、あるいは絶世の美女姿、あるいは異形の姿で祇園社まで静々練り歩く、祇園ねりものは日本人の持つ美意識が凝縮され、これを見るものに、刹那の浄土をもたらしてくれはずです。





by gionchoubu | 2014-09-30 15:44 | ねりもの | Comments(0)