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by gionchoubu
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二条柳町より六条三筋へ

三筋の由来は楊梅通り、鍵屋町通り、的場通りにあります。この区画に今も上柳町があるのは、その時の名残といえます。
一般に移転の理由は御所に近いからとか、周辺に家が建ち都市化したとか云われていますが、御所の近くは始めから分かっていたことですし、十余年でそう都市化するのも考えにくいので、多分、最初の選定がそもそも間違っており、これを定めた当局の面目を保つための方便だったと私は考えます。
明田鉄男氏は造営中の二条城から遠ざけたかったから、さらに広大な傾城を作り、税制の増収をもくろんだ可能性にも言及されています。
元和三年(1617)三月、元和五ヶ条が幕府より出されるのですが、それは
一、 傾城町は三筋に限り、その区域を越えて遊女稼業は禁止である。
一、 客は一晩しか泊まっていけない。
一、 傾城の衣類は紺屋染を用い質素に、金銀などはもっての外
一、 廓内の建築も質素に、町役は厳正に
一、 不審者は奉行所に通報せよ
移転当初から市内に散らばる無免許の遊女渡世は公許の三筋の人達にとって悩みの種で、六条三筋に住吉神社を勧請した同年六月、上記元和五か条を受け、六条三筋の総中は無免許業者をお恐れ乍らと訴えでました。
訴えられたのは、二条柳町の開発者の一人であった林又一郎を中心に市内広くに及びます。又一(市)は二条柳町にも六条三筋にも属すのを拒んだようです。
四条河原町 又市
同ていあんのうしろ 一町(貞安前之町は今の高島屋の西部分)
同こりき町 一町(現先斗町の一画)
同中島 一町(三条河原町東)
同ますや町 一町(上京、中京、下京に十箇所ほどもあり特定できません)
とひ小路 しつか太夫(富小路がとびのかうし通と『京雀』あるも分からず)
同たかみや町 一町(富小路蛸薬師下ルに現存します。)
たこやくし通 ゑいらくや
二条たわら町 たなかつら(かつて夷川新町西入ルに俵町あり)
こうしんのうしろ (庚申?荒神?どこを指したものか・・・)
北野 六軒町(上七軒の近くと思われる)
同 れいしょう(同上)
大仏この町(五条~七条間の山和大路辺り?)
以上が告訴された無免許にて営業していた所です・
前回の参照以外、『文芸倶楽部第八巻第六号定期増刊』
