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酌人と雇仲居

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                         住吉町
京都では江戸時代、下河原の山根子と呼ばれ、客に求められて酒の相手をするというよりも、東山山麓にて六阿弥(ろくあみ)といったお寺が経営した席貸屋に舞台を求め、品格を持って技芸を披露した町芸者や、宴席にも出て三味線も弾き踊りも踊るが、結婚式の儀礼や葬式のしきたりの際、家人のお手伝いに長じた酌人という職業がありました。

明治になり、山根子は祇園に同化され、井上流の踊り手となり座敷に侍り、山根子芸者と呼ばれる人はこの時代に消え去りました。一方酌人は、大正以後は雇仲居と名を替え、京都ではつい10年ほど前までは、客の求めに応じ旅館や料亭に、和装のコンパニオンとして座敷に入ることがあり、下河原に一、二軒ですが個人で経営されている倶楽部がありました。

この酌人が、料理屋、旅館の仲居と違うのは、酌人同志の横の繋がりを大切にしながらも、開宴事情の消息に長じ、特に冠婚葬祭などの席でも重宝されたことで、酌人の鑑札をもっていたことです。また、花街の芸妓とちがうのは、本来芸妓ほどの華美をよしとしなかった点で、大正八年『郷土趣味』13号の「大阪の酌人に就いて」今西茂喜筆を読むと、酌人の風俗は質素で、紋服では精々紬の紋付を用いるぐらいで、頭はりょう輪に結び、お歯黒をし、眉を落とすという独特なスタイルをもっていたといいます。

京都、大阪以外東京、福岡、姫路、神戸、奈良等にもこの酌人がいましたが、この雑誌が発売された頃には衰微していったようです。さらに芸妓が廃業してこの酌人に鞍替えしても、体力、習慣、養成も素因がことなるので、労働耐えられず中途挫折するのが普通だったようです。

大阪酌人組合規約及趣意書に

第六条 組合員は宴席に侍すると否とを問わず勉めて倹素の風を尚び其言語挙   
動を温雅にして苟しくも花街に於ける淫ぴの風に感染せざる事を要す。

第九条 酌人見習中は宴席に於ける盃盤の配置歓待の方法其他冠婚葬祭の儀礼に通暁すべく姉酌人に於て之が養成を怠るべからず。

と、当初の酌人の職業倫理は大変高いものでした。

しかし明治三十九年八月二十八日、大阪市酌人同業組合が大阪府知事、高崎親章に提出した『酌人組合設立趣意書』を読むと、大阪では酌人組合設立当時に於いてすでに「其下層にして卑俗なる業務に対する改善の手段を講ずる蓋し急務中の急務と云う可し」、と、お茶屋しか入れない芸妓と違い、おでんやであれ、そば屋であれどこでも出入りできる酌人のステータスを最大限に利用し、酌人の蓑を纏った簡易芸者として花街を蚕食する芽は既に出ていたことになります。

その後新世界で雇仲居は猛威を振るったのですが、西日本にはこの芸妓ならぬ雇仲居ばかりで一地区を形成した所が、私が知る限り、新世界以外に二箇所あります。

一箇所は昭和初期にできた三重県の四日市の住吉町と、もう一か所は広島県の竹原です。








by gionchoubu | 2014-09-21 11:09 | 雇仲居 | Comments(0)