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やとな 大正芸妓 有芸仲居

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                         新世界
やとなさんとは大正から戦後にかけ大阪、京都、奈良、兵庫で一大勢力をもった女性の職業で、芸者の様で芸者でない、酌婦の様でそれだけではない、警察には常に目を付けられ、花街からは目の仇にされ、それ故変わり身も早く、場所により、時代によりその形態をかえ、その柔軟性ゆえ定義すらままならぬ存在でした。

京都では下河原が本場で、ほんの四、五年前までは、私も年一ぐらいはお客の要望で手配もさせて頂きましたが、今はもう営業されていないかもしれません。

現在のやとなさんは着物姿の手慣れたコンパニオン以上でも以下でもなく、料金も着物着用のコンパニオンと変わりませんでした。

やとなとは雇仲居のことですが、そもそも仲居は料亭、お茶屋、旅館で配膳が主な仕事で、臨時で仲居を派遣で雇うのは助仲居(すけなかい)で、たとえば貴船などで夏の一定期間これを手配するのを長助と呼びます。

しかし、お酒の相手が主で配膳はしないのに何故雇仲居なのでしょうか?

ヤトナの本場であった新世界の歴史を辿り、私ながらにその答を探って見ようと思います。

明治三十六年、現新世界から天王寺公園にかけ第五回内国勧業博覧会が催され、その跡地を中心に明治四十五年初代通天閣、ルナパークを含んだ一大アミューズメントパークが新世界でした。

そして大正四年逢坂通りに雇仲居小雪倶楽部が営業を開始しましたが、酌人の鑑札を手にしたやとなは、おでん屋だろうが蕎麦屋であろうが、一般の仏事、婚礼などでも何処でも赴くので重宝がられ、なにかとシバリの多い芸妓と違い、安価な上電話一本で呼べるのも便利で、新世界には新奇を求める客が真昼間から押し寄せる現象まで引き起こしました。

これに驚いた花街側は警察当局に取り締まりを働きかける一方、自らも料金を含めた営業形態の見直しを迫られたのです。

新町を省いたこれらの花街は江戸期の長きに渡り非合法遊里として、唯一公許の新町の強い要請で常に取り締まられた対象でしたが、皮肉な事に、明治になり自分たちが権威になると新町と手を携え新規の参入者を拒んだのです。

それでもヤトナの快進撃は止まらず、ヤトナの舞妓、幇間までもが出現するに及び、大正六年所轄難波警察も、新世界の業者の自覚改善を促す為、酌人新規出願を停止するという強硬手段で望みました。

そうこうしている内にも敷地内には料理屋が続々竣工するので、新世界酌人組合は大幅な改善策を実行せざるを得ませんでした。

その改善策とはヤトナは三味線を携行せず、裾をひかず、芸名を用いず、明かし花を売らず云々というものですが、これは取りも直さずヤトナはそれまで三味線を弾き、ぞろりとした裾をひいてお座敷に現われ、芸者のような名前を持ち、さらに客から請われればお泊り営業をしたという事に他ならないのです。

お茶引き芸妓の中には厳しい稽古の無い手っ取り早く稼げるヤトナに鞍替えした者も沢山いたでしょう。花街側が激怒したのもうなずけます。

ヤトナは大正芸者と呼ばれたり、有芸仲居の別名もありましたが、自らを雇仲居と呼び、芸の一字から遠ざけたのは、花街や世間の目を鑑み、体裁だけは仲居の一種として取り繕っていたので無いのでしょうか?


by gionchoubu | 2014-09-19 12:41 | 雇仲居 | Comments(2)
Commented by kayohosoda99 at 2016-06-27 21:58
京都のヤトナは大阪のヤトナと違い、お酌だけでは済まない‥と、
織田作之助の「それでも私は行く」に書かれています。
Commented by gionchoubu at 2016-06-28 16:10
> kayohosoda99さん

大阪のヤトナにもお酌だけで済まない者が沢山いたはずです。