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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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芸妓幾松が存在しなかった理由

芸妓幾松が存在しなかった理由_f0347663_10370423.jpg
                       木戸松子夫人
                   
三本木といえば、矢張り幾松の逸話が気になるところですが、『霊山歴史観紀要14号』の大西荘三郎氏の『桂小五郎と幾松の顛末』を読むと、どの本にも父木崎市兵衛は小浜藩士と書かれており、私も、成程、武家の血をひく娘ならでこそあの胆力が備わり、同じ武家の桂小五郎への思い入れがあったのだろう、と思っていたのですが、氏は小浜藩の「藩士分限帳」のどの年代にも木崎姓がなく、「組屋文書」からその名を見い出し、市兵衛が天保元年から嘉永元年までの十八年余にわたって、町方支配の組屋家に勤めていた町人であろうと推破しました。

京都に木崎家が出奔したのは、「不埒の筋に付暇遣」されたためで、これが公にならなかったのは、明治の元勲の妻の父の不始末を公にするのを躊躇ったのではないか、と書かれております。

幾松が生まれたのは天保十四年、十月二日、父、木崎市兵衛。母、末の長女として、幼名はまつではなく計の可能性が高いそうです。

一家が京都にきたのは幾松が九歳のとき、計(カズ)が三本木で舞妓となったのが安政三年で以後二代目幾松として幕末の舞台で活躍することになるのですが、大西氏によれば、幾松の母が嘉永四年に市兵衛と死に別れた後、提灯屋と再婚したというくだりも嘘で、市部衛が無くなったのは明治二十九年で、娘の幾松(木戸松子)より長生きしました。

芸妓幾松は存在していなかった・・・

実は幾松は芸妓でなく、酌人であったという証言があります。昭和六年の雑誌『技芸倶楽部』91号に、当時幾松を良く知る八十六歳の老婦が「妾(わたし)は十三歳から二十五歳まで三本木の美濃徳といふ内から酌人にでていたのです。其頃は中々物騒の事でお武士さんや、稽古人さんが入り交り立ち交わりお越しになって、時々怖い事もありました、桂(木戸公の事)さんや、井上(井上聞多)さんも未だ稽古人時代でありました、幾松さんは同じ三本木の瀧中という内から出ていたお酌人であります~略~」

是はなかなか含蓄のある言葉で、三本木が江戸時代には正式な遊廓という免許地でなく、いわゆる町芸者が沢山集まった准花街のような処と考えると、天保の改革で、他所が営業を禁止されたのにもかかわらず、三本木がお咎めなしだったのも、又、遊所番付に顔をださなかったのも、合点がいきます。おそらく花街につきものの検番といった組織も無かったのではないかと思います。

又、芸妓とは鑑札が付きまとい、鵜飼の鵜のようにその花街区域にしばられるものですが、酌人なら自由に羽ばたくことが可能で、随分行動も自由だったことでしょう。

流石、田中緑江さんも東三本木の項で、京都には町芸者という女がいて、町家は、冠婚葬祭のとき、この女達を臨時で雇って式を手伝わせた、又三味を弾き唄を歌い、舞も舞うので、酒席をも賑わせた、と書いており、酌人という言葉はつかいませんが、三本木は町芸者のあつまりであった、と述べておられます。

三本木の酌人達は左褄をとり、見掛けは頭の先から草履まで、芸妓と見分けはつかなかったでしょうが、芸妓幾松は存在しなかった。木戸松子夫人は、三本木の酌人だった、という事になります。



by gionchoubu | 2014-09-14 10:40 | 京都の花街・遊廓 | Comments(2)
Commented by naka at 2015-07-08 11:47
技芸倶楽部の存在をご存知とは素晴らしい。よく研究されていますね。
Commented by gionchoubu at 2015-07-08 17:16
>naka様、コメント有難うございます。古書店で買ったり、京都府立資料館で拝見したりしています。
大変重宝しております。