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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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新三本木ぞめき 一

かつて三本木とも、東三本木とも、新三本木とも呼ばれた花街がありました。
この三本木は町名ではなく通りの名前で、丸太町大橋西から鴨川北に伸びる最初の筋が東三本木通りで、一本西が西三本木です。

新三本木ぞめき 一_f0347663_12153845.jpg
                      鴨川から望む山紫水明処
新三本木ぞめき 一_f0347663_12175300.jpg
                     現在の東三本木通り


何故新をつけるかというと、もともと東洞院通にあったのですが、宝永五年(1807)の大火を機に京都御所が拡張されることになり、三本木一丁目より三丁目の人家を鴨川西岸の現在地に移しかえ開町したからです。

新三本木を町名で表せば、頼山陽が文政五年に移り済み、今も残る山紫水明処があるのが南町、真ん中の中之町、その北、園通寺あたりの上之町のごく短い区画で、花街としては実にこじんまりとした区画になります。

芸者町になったのは、ここが開町したころからで、山紫水明処のネーミングで分かるように、鴨川があり、東山が綺麗に眺められる、町中の雑踏からもほどよく離れ、遊興の地としては申し分のない立地が大きいのでしょう。

『京都府下遊廓由緒』には新三本木の舞芸者は白拍子の流れを汲み、高台寺で北の政所が育んだ一種の町芸者と流れが同じというような事がかいてありますが、この文は明治の五年に各遊廓、花街から自所の由緒を提出させたものなので、三本木にそういう伝承があったものだと思われます。

天保年間の改革で、嶋原、撞木町、中書島の遊所以外は祇園も上七軒も皆廃業か嶋原に移転を命じられましたが、この三本木が見過ごされたのは、ここに娼妓が一切いない芸妓の町だったからとされています。しかしながら遊廓として認識されていたからこそ、上記の京都府下遊廓由緒でも、下京十六区の嶋原の傾城町出稼五として下京二十二区の新三本木が位置づけされていました。

天保の改革がなし崩しになった嘉永(1848~54)以来、三本木は大いに賑わい、不夜城とよばれました。

幕末、桂小五郎と浮名をながした三本木の幾松は、あるいは日本人にとって一番馴染みの深い芸妓でしょう。その他にも近藤勇の駒野、後藤像二郎の“いろ”も三本木の芸妓とされています。そのころ料亭吉田屋、清輝楼、上井筒、大岩、月波楼、芸妓置屋として美濃徳、瀧中などがありました


by gionchoubu | 2014-09-12 12:19 | 京都の花街・遊廓 | Comments(0)