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by gionchoubu
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五番町ぞめき 二

明治七年、女紅場ができ、十九年に布令のもと五業取締規則により組合が出来、事務所も出来たのは市内の他花街と同じです。明治十一年、大西亀太郎編による『都の花競』によると、五番町の芸妓は十四人、義太夫芸妓一人、舞妓二人、
四番町に七人の名が記載されています。
大正四年発行の『京都府誌下』によれば大正二年,貸座敷128、芸妓49、娼妓469とあります。
大正十年に自発的の娼妓の張店の慣例を撤廃、大正十一年には芸妓部、娼妓部、芸娼妓連帯部の三部制を制定、更に大正十五年この三部制を廃止して元芸妓部を東部貸座敷組合、元娼妓部を西部娼妓組合と称しました。
この頃の五番町の組織は
北新地東部貸座敷組合事務所、取締、里見新三郎
同営業部、理事、里見新三郎
北新地東部歌舞会も会長は里見新三郎で、抹茶活花科、舞踏科、浄瑠璃科、鳴物科、長唄科、清元科、常磐津科、哥澤科を擁する実に見事な組織で、五番町の踊りは若柳吉兵衛と中村豊子が指導していました。さらに科目により北柳会(若柳流舞踊会)二六会(浄瑠璃会)北聲会(哥澤会)技芸研究会(歌舞音曲全部)清本元研究会(清元会)がありました。
この東部貸座敷組合で四番町に所属するのが、(A)芸妓置屋として、市房、春の家、田中、瀧川、中村、村種、宇栄繁、松村、二見、房の家、久富、五番町に西定、常盤、玉三枡、福丸、喜月、岸柳、美登里、三福、松月、利生町に俣野、喜楽で合計芸妓数六十一人、義太夫芸妓は三人とやや少なめです。
五番町の代表的な名妓としては、玉三枡の辻金時(本名辻つる)は明治三十六年、十七の年で芸妓になり、昭和六年に二十九年の芸妓生活を終え、北新地役員や朋友の見守る中、千本の橋本家で引退披露をしました。
その後も辻鶴の女将として北新地の中心人物でいた。『亡くなった京の廓』で田中緑江さんも五番町の代表名妓として紹介しています。
(B)東部貸座敷名簿に載るのが、四番町に、市房、春の家、千鳥、和田、田中愛、田中、大光、瀧川、中村、村種、宇栄繁、山田、松村、二見、房の家、寺田、君の家、森本、喜楽、水野、久富、五番町に西定、常盤、玉三枡、蔦屋、辻、福丸、里見、喜月、柳岸、三登里、三福、南西定、松月、白竹町に大なつ、藤家、利生町に俣野、菅原、一概には言えませんが、この(A)(B)に重なる店が置屋兼お茶屋、(A)のみに見えるのが置屋のみの営業、(B)のみがお茶屋のみの営業であると私は理解しています。
by gionchoubu
| 2014-09-06 11:58
| 五番町
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Comments(2)
ぞめき様、ごきげんよう。お久しぶりです。
先日、元五番町遊廓域を通りましたら、写真の建物の回りに布が掛けられておりました。おそらく解体されるでしょう。以前からその感じは致しました。あの辺り、遊廓の面影が無くなっており、歴史の風化が物語ります。本当に残して修復、または復原して欲しかったです。
先日、元五番町遊廓域を通りましたら、写真の建物の回りに布が掛けられておりました。おそらく解体されるでしょう。以前からその感じは致しました。あの辺り、遊廓の面影が無くなっており、歴史の風化が物語ります。本当に残して修復、または復原して欲しかったです。
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