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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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先斗町ぞめき 十二

先斗町ぞめき 十二_f0347663_11291738.jpg
一方、ダンス芸妓は大阪の宗衛門町の河合ダンスが本格的で名高いのですが、花街による少女のレビュー団は珍しく、渡会恵介著『京の花街』によれば、昭和十一年の鴨川をどり『踊る東海道』の中ばさみに少女レビューが登場すると、是をみたフランスのジャンコクトーが感嘆の声を上げたというくだりがあります。

同じ昭和十一年の五月十六日にはチャップリンも後に夫人となるゴダード嬢と鴨川をどりを観劇しました。彼がゴダードと共演したモダンタイムスが封切られる前年のことです。このときの詳しい状況が同年の『技芸倶楽部』七月一日号に載りますので紹介させていただきます。

この日神戸に着くと京都の柊屋旅館にチェックインした二人は市内散歩のあと午後八時過ぎ、先斗町歌舞練場に到着、寺井徹郎取締、舞台監督の日疋重亮氏と握手をして点茶席に向かいました。

ゴダード嬢が上席、チャップリンが次席に腰を降ろすと、この日のお手前は久代と久丸の両妓でした。チャップリンは立て出しの一服をすすると、笑いながらも畏まって茶碗をくるくる廻し、おうすを飲み干すと茶碗をおき、自分の白いハンカチを胸からつまみ出し、真面目な顔をして芸妓の帛紗捌きを真似たのですが、なんともお茶目な姿に滑稽味があったそうです。

茶席が終わると、二人は二階の一等席客休憩所にはまわらず、一階の受付口の長椅子に肩を並べて休憩しました。

会場に入ると、チャップリン、ゴダード、日本人の秘書は会場中央の最前列に座りました。世界の喜劇王と同席の幸運に恵まれた階下の観客は会場を仰いで目を注いだといいます。

奇しくも最初の舞台は喜劇仕立ての弥次喜多を中心とした『踊る東海道』でした。彼が鴨川踊りと書いた小さな団扇でしきりに自分を扇ぐ中、緞帳が上がると、背景は桃山時代橋柳の絵襖、左右に地方、囃子が並んでおりました。鼓唄が済むと同時に両側から踊り子が踊り出たので、チャプリンは正面、左右に目をきょろつかしながらも、満面笑みを浮かべていたそうです。

「三条大橋」の景では小さな声でしきりに隣のゴダード嬢と語り合い「大津絵」の場面では、藤娘、鬼、弁慶の異様な姿に目を光らせながら大声で笑い、「関の小萬」の景ではじっと舞台を見つめていました。

「吉田二階の場」が終わり、それに続く「店頭の場」が始まると、弥次役の筆右、喜多役の卯の龍が現れ、両人は女郎衆に家の中に引っ張られる場面、両人がこれから逃れるときの足の軽い所作、更に「遠目鏡の場」と進み、一連の舞台が終わると、チャプリン、ゴダード嬢とも膝を進め盛んに拍手を送り、御満悦の様子でした。

舞台が終わり一行が立ち上がろうとした時、観客の一人が両人の前に進み「失礼ですが、貴下の後ろ姿を写生しました。どうかこれにサイン願います。」といいつつスケッチをみせました。このスケッチを手にしたチャップリン、ゴダード嬢は自分の姿のところにサインをしました。さらにそばに居た婦人も扇を広げサインを求め、快く応じられました。

この男こそ京都美術界にその名を得た池田遥邨画伯で、女性の方は先斗町貸座敷卯月の仲居、お繁どんだったということです。

この舞台がチャップリン特別な印象を与えたのは、舞台後主演の筆右、卯の龍に握手をして帰りたいと舞台監督に申し出たことでも分かります。

尤も、二人の芸妓は楽屋を去った後で、ただ弥次、喜多の衣装があるのみ、これを目にしたチャプリンは衣装をぐっと握ると「是が抜け殻に握手だ。」と打ち興じると歌舞練場の芳名録に記帳のうえニコニコしながら鴨崖の地を後にしました。

この年の鴨川踊りは連日満員の盛況で、興業期間の大半は大入袋が出たということです。ちなみに、昭和十五年、再びチャップリンがゴダードと共演した独裁者は、日英米関係悪化のため、大戦後まで国内で封切られることはありませんでした。


by gionchoubu | 2014-08-16 11:29 | 先斗町 | Comments(0)