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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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先斗町ぞめき 十一

先斗町ぞめき 十一_f0347663_11584942.jpg
           先斗町にかぎらず、ダンス芸妓の写真はなかなかお目にかかれません。

昭和八年、先斗町歌舞練場の三階を全部ダンス場にしました。これは京都のダンスホールの魁でもありました。

この年、『郷土芸能上方』に劇作家の高谷伸が「先斗町菅見」という一文を寄せています。

「帰る駕籠屋に、また来るお客、チリツテトン、いつも賑わう祇園町、雨のふる日は、流連(いいずけ)先斗町 こんな歌がある。祇園町の大尽遊び、先斗町のしんねこ遊びを対照としたともいえる。」

「常磐津はこゝの自慢、師匠は文字八、昨年扇雀小太夫の戻橋に出演したのはこゝのお姐さん連、その筆頭がお美代である。長唄はレコードでお馴染の筆香を第一とし、卯の子、若手では栄二がある。三味線では肥った房子がめっきり若がえり、三智子、小定、繁勇などゝいふ所である」

「第一の踊り手は市龍、芸も達者だし、いつまでも若い。以前久鶴と言った久龍がこれに次ぎ、若手では豆子、一太郎、美代三、久雄、豆千代などがある。遡ると、堂雨さんと御縁の浅からぬ市子、今は池の療の女将お染などといふ人々もこの廓の踊り手として一時代を活した人であった。」

いずれも、この花街に深く親しん人ならではの、今となっては大変貴重な寄稿となりました。

昭和九年、先斗町少女レヴュー団の中から初めて十七歳の富貴谷常子が、専任ダンス芸者として十二月二十九日に芸者監札をうけ、翌十年一月一日に店だしをする運びになりました。それまでの団員は年が長ずるに準じて、普通芸妓に転向するのが常でした。これは本人より、お茶屋の意向だったとされます。
この時代、花街の置かれた状況を考えると無理からぬものだったのは、以下の趨勢をみれば頷けます。

日中戦争を三年後に控えた年でもある昭和九年の七月十四日、先斗町歌舞練場では国婦先斗町分会発会式が行なわれ、会員四百九十二名(内芸妓二百二十名)は何れも白エプロンに「大日本国防婦人会」と大書した白襷をかけ、結団式、役員選出、講演などが執り行なわれました。さらに十七日、女将十名が班長、久龍、市龍、卯の子ら芸妓十名が副班長として下京区役所に至り防護団の配給に従事しました。

実はこれに先立つ七月七、八日、先斗町貸座敷組合事務所が主催となり、円山音楽堂で「在満将士慰問金募、先斗町少女レヴィュー講演」が催されました。会費は二十銭均一、プログラムの前半は

一、 ジャズタンパリダンス
二、 シャツポー踊り
三、 影を慕ひて
四、 フラフラダンス希望の恋路
五、 タンゴリーサー
六、 青空に唄ヘ
七、 吉原雀(舞踊)
八、 スケータースワルツ
九、 アクロバックスダンス
十、 東京甚句
十一、 神田祭(舞踊)
十二、 唐人お才(新舞踊)
十三、 花売娘の唄
十四、 海燕(舞踊)

そして後半は非常時日本の全十幕で太平洋爆撃艦隊航空隊、軍艦の甲板などの言葉が並びました。この風潮のなか、大日本国防婦人会を前にして、普通芸妓ですら居心地の悪い思いのする中、ダンス芸妓がいかに肩身の狭い思いをしたか、想像に難くありません。

昭和十年には六月二十八、二十九の両日、歴史的な鴨川の大出水が起こり、先斗町は殆どが床上、床下浸水、納涼床も全て流され、損害は六十、七十万円ののぼり、歌舞練場のダンスホールも一時閉鎖するほどの騒ぎになりました。

ちなみに、この月の技芸のお花売り上げ上位者は、笑丸、美代作、豆楽、市桃、美代奴、豆丸、美代福、吉雄、豆千代、卯の子ということになります。


by gionchoubu | 2014-08-15 12:00 | 先斗町 | Comments(0)