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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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先斗町ぞめき 六

第一回の鴨川をどりが行われたのは、当時先斗町に適当な会場が無く、その開催を四条御旅北入る烏須沙魔(うすさま)の図子東側の寄席、千代の家に求めましたが、ここも狭く(席内は間口4間、奥行き十七間)踊子十二名、地方七名、小鼓二名、太鼓一名、二名を三組作り、三月毎夜交代で出演しました。

この時の先斗町の踊りは篠塚流が担当しており、当時、その前年から行なわれた祇園が、都をどりの成功の功の報酬として篠塚流を追い出す形になりましたが、基本京の踊りは上七軒も、宮川町も、嶋原も篠塚流でした。

踊りは篠塚文三、三弦は杵屋六三郎、鳴物は杵屋万蔵が担当、演目は「雲井の庭」で勧業場町横井雅頌の作とされています。
先斗町ぞめき 六_f0347663_12431384.jpg
               節分に、八坂神社で豆まきをする先斗町の舞妓さん。

明治十年には、仙洞御所のお庭の醒花亭で京都の花街の芸妓が売茶をしました。この時に考案されたのが立礼式で、今の五花街の踊りのお茶席に引き継がれています。

都をどり、鴨川をどりのお茶席で、祇園甲部と先斗町の舞妓のみが嶋原の太夫ばりに片側の赤襟を折り込んで見せています。これは、嶋原の太夫は御所の出入りを許されていた、普段赤襟を返しているのは禁色の赤を身につける事を許されていることを誇示している(実際嶋原太夫が御所に入った事実が有る訳ではありません)という俗説を踏襲していると思うのですが、何故この二花街が赤襟をかえすのか、どなたか教えていただけませんでしょうか?

私はひそかに、この時御所で抹茶の接待をした花街こそが祇園と先斗町で、御所の出入りを許されたことを示したのだと考えています。

明治五年当時の貸座敷は百八十六軒で維新を期に娼妓本位から芸妓本位の花街に変貌を遂げました。

明治六年、先斗町でも女工引立会社設立の許可を願いでます。これは明治五年、新政府による「芸娼妓解放令」のあと、行き場を失った芸娼妓に技能を身に付けさせようと、強く花街側にその設立を求めたもので、京都では同年二月嶋原、同三月祇園で開設されました。

授業内容は槙村正直が自ら発案し、着物一般を扱う縫物局、小袖綿などを扱う綿積局、巾着などを扱う莫大小局、糸繰局ですが先斗町は土地が狭いので、祇園では加えられた養蚕、製茶は実行されませんでした。維持費は半分は府庁が持ちました。同七年布令で女工引立会社が女紅場(にょこうば)と改称されましたが、遊所の場合、実質茶技、諸芸を学ぶ場所となりました。


by gionchoubu | 2014-08-09 12:45 | 先斗町 | Comments(0)