
花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。
by gionchoubu
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先斗町ぞめき 五

やがて幕末の風雲の中、勤皇、佐幕両派入り乱れて先斗町でも遊興し、その中には、水亭の常連であり木屋町で難にあった本間精一郎、瓢亭(いまのいずもや)で芸妓小勇と浮名を流した平野国臣、後藤像二郎も丸梅の芸者小仲に熱をあげたといいます。
ちなみに先斗町には五十四本の路地があり、五番路地、十五番路地とか数字が打たれておりますが、これは土地にうとい勤皇方の志士が便宜上つけたといいますが、確証はありません。(当時の番号や路地の数といまのそれは違うようです)
慶応三年版(1867)『四方のはな』によれば、大政奉還前夜先斗町には、四軒の見世があり、安政と比べると近江屋と浅井屋が無くなり、大もんじ屋に芸子80人、遊女(娼妓)19人、大こく屋に芸子28人、舞子12人、義太夫(芸妓)5人、遊女(娼妓)30人、津の国屋に芸子13人、遊女(娼妓)10人、浜むら屋に芸子20人、義太夫(芸妓)2人、遊女11人の名を確認することができます。
明治五年、槙村正直参事(後知事)の号令で、京都博覧会の余興で始められたのが都をどりですが、この年、もしくは翌六年に催されたのが先斗町の鴨川をどりです。この開催初年に関して、緑江さんを含め殆どの書物は五年とかいていますが、『京都先斗町遊廓記録』と明田鉄男の『日本花街史』のみは翌六年(尤も第四章では明治五年)と書かれております。『京都先斗町遊廓記録』は先斗町の倉田保之の手によるもので、特に鴨川をどりの記載に詳しく、信頼性は非常に高いものの、鴨川をどりのパンフレットも明治五年を第一回としています。
この倉田保之自身、明治二十八年より大正四年まで鴨川をどりの作歌を担当していました。ちなみに明治十一年から十六年までは、府知事槙村正直の右腕であった明石博高(あかしひろあきら)が担当していました。
ちなみに倉田保之は、『京都先斗町遊廓記録』に「又た年々続きて興行ありしには相違なくとも十三年まで即ち二回目より七回目迄の内に御代の四季といえると猶ほ題なき番組あるも年号記しあらねば何年のとも判明せず。」と書いています。鴨川をどりのパンフレットに、
第一回 明治五年 三月十五日~五月十五日 雲井の庭
第二回 明治六年 三月二十日~四月二十五日 御代の祝
第三回 明治七年 三月一日~四月五日 四方の花
第四回 明治八年 三月五日~三月三十日 源氏のをもかげ
第五回 明治九年 三月二十日~四月十五日 花くらべ
第六回 明治十年 三月十五日~四月十五日 四方の詠
第七回 明治十一年 上 三やしろめぐり
第七回 明治十二年 上 都のなどころ
第八回 明治十三年 三月一日~三月二十五日 花づくし
第九回 明治十四年 上 御代の四季
と明記されているので、後日全ての題が明らかになったと思われ、どうも五年のほうに軍配が上がるようです。。
ちなみに先斗町には五十四本の路地があり、五番路地、十五番路地とか数字が打たれておりますが、これは土地にうとい勤皇方の志士が便宜上つけたといいますが、確証はありません。(当時の番号や路地の数といまのそれは違うようです)
慶応三年版(1867)『四方のはな』によれば、大政奉還前夜先斗町には、四軒の見世があり、安政と比べると近江屋と浅井屋が無くなり、大もんじ屋に芸子80人、遊女(娼妓)19人、大こく屋に芸子28人、舞子12人、義太夫(芸妓)5人、遊女(娼妓)30人、津の国屋に芸子13人、遊女(娼妓)10人、浜むら屋に芸子20人、義太夫(芸妓)2人、遊女11人の名を確認することができます。
明治五年、槙村正直参事(後知事)の号令で、京都博覧会の余興で始められたのが都をどりですが、この年、もしくは翌六年に催されたのが先斗町の鴨川をどりです。この開催初年に関して、緑江さんを含め殆どの書物は五年とかいていますが、『京都先斗町遊廓記録』と明田鉄男の『日本花街史』のみは翌六年(尤も第四章では明治五年)と書かれております。『京都先斗町遊廓記録』は先斗町の倉田保之の手によるもので、特に鴨川をどりの記載に詳しく、信頼性は非常に高いものの、鴨川をどりのパンフレットも明治五年を第一回としています。
この倉田保之自身、明治二十八年より大正四年まで鴨川をどりの作歌を担当していました。ちなみに明治十一年から十六年までは、府知事槙村正直の右腕であった明石博高(あかしひろあきら)が担当していました。
ちなみに倉田保之は、『京都先斗町遊廓記録』に「又た年々続きて興行ありしには相違なくとも十三年まで即ち二回目より七回目迄の内に御代の四季といえると猶ほ題なき番組あるも年号記しあらねば何年のとも判明せず。」と書いています。鴨川をどりのパンフレットに、
第一回 明治五年 三月十五日~五月十五日 雲井の庭
第二回 明治六年 三月二十日~四月二十五日 御代の祝
第三回 明治七年 三月一日~四月五日 四方の花
第四回 明治八年 三月五日~三月三十日 源氏のをもかげ
第五回 明治九年 三月二十日~四月十五日 花くらべ
第六回 明治十年 三月十五日~四月十五日 四方の詠
第七回 明治十一年 上 三やしろめぐり
第七回 明治十二年 上 都のなどころ
第八回 明治十三年 三月一日~三月二十五日 花づくし
第九回 明治十四年 上 御代の四季
と明記されているので、後日全ての題が明らかになったと思われ、どうも五年のほうに軍配が上がるようです。。
by gionchoubu
| 2014-08-08 12:30
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