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宮川町ぞめき 二

宮川町ぞめき 二_f0347663_15561422.jpg
                      宮川町を通る舞妓さん。

祇園の一角としての、宮川筋一丁目=石垣町=東石垣ですが、『好色一代女』に「石垣町茶屋といへど、此処には一軒に七、八人づゝも有て、衣服の仕出しよき相手に、分里の事も聞おぼえ云々」と、これが書かれた貞享三年(1686)以前にはすでにここが遊里化していた事を物語っています。

さらに『武野燭談』(ぶやしょくだん)という書物に「石垣茶屋、河原を見下ろし、がけ造りにして、四壁金襴純子にて張、床をば畳をやめて天鵞絨(ビロード)を以包み、天井をば水晶の合天井にして、水をたゞへて金魚を放ち、障子はびゝどろを以て、四方はみえて内はみえぬやうにかまへ、珍膳美味を尽し、美婦是を配膳するほどに、貴賎共に金次第の遊興放埓なりしかば、天和中禁止される。」という記述があります。

天和年間は1681〜1683年、江戸時代の初期にこのような遊興が非合法の遊里でまかり通っていたとは信じがたいのですが、これを嬉遊笑覧で引用した喜田村?庭も、「さまでの花美ならば其頃の草子にみゆべきに、さる事聞こえず」といささか懐疑的です。

さらに喜田村は『西鶴大鑑』で「祇園、石垣、上八軒、穴奥(こっぽり)、八坂、清水の茶屋」と述べられた、祇園周辺の遊里を紹介しています。

天保以前の全国の遊里を相撲の番付に見立てた『諸国遊所競』でも、東石垣は宮川町と分けられており、東石垣は西の十三枚目を占め、両所ともに先斗町、上七軒よりも上位、東石垣の領域の狭さをも考えると、認知度は相当なもので、大いに賑わっていたと考えられます。しかしながら東石垣は正式名称としては宮川筋一丁目になります。

さて、宮川筋二丁目以下の様子を『京都市の地名』で探して見ると、『月堂見聞集』に享保八年(1723)、祇園新地団の辻子(一丁目と二丁目の間)で当局の一斉取締りがあり、白人(私娼)三十余人が今で言う検挙され、親元に帰されたとあり、さらに同書によれば、享保十七年(1732)宮川筋五町目の米屋喜兵衛の借家の市懸茶屋井筒屋よつ、と言う者が市掛下女の名目で女を抱え、町々所々に遊女を遣わしたことが露見し、よつは所払い、家財も欠所を申し付けられていますので、宝暦以前に遊女が居たことは間違いありません。

もう一つ、同書によれば、祇園祭の神輿洗いに出された、一種の仮装行列である練物が宮川町でも享保六年、雨乞の題で、さらに同十八年にも鬼一法眼の題で出されていたことが分かります。この練物は後年、遊女や芸妓が練り子となった祇園で大変有名になり、何度も中断したものの、昭和三十五年まで続いた祇園の一大風物詩でした。

ただし、当時祇園もそうであった様に、宮川町の妓女がこの仮装に加わったというわけではなく、まだ町方の練物であった事でしょう。

雨乞いは切実な願いであったでしょうし、鬼一法眼は前年初めて上演された浄瑠璃でしたので、人々は大いに活目してこれを見たに違いありません。

諸国遊所競では宮川町、即ち宮川筋二丁目以下は前頭西五枚目と大健闘しています。



by gionchoubu | 2014-07-25 16:05 | 宮川町 | Comments(0)