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祇園東ぞめき 七

祇園東ぞめき 七_f0347663_16193075.jpg
   元禄島田の髪姿の祇園東による祇園祭花笠

ちなみに、この番付にのる祇園地区の遊所はいくつもあり以下並べて見ると、

祇園町・・・四条通りの北側、南側で今も続く一力、祇園一番とされた井筒などが軒をならべました。享和二年(1802)刊『羇旅漫録』(きりょまんろく)で、滝沢馬琴は祇園町にふれ、「井筒、扇九、一力など座敷ひろし、客あれば庭へ打ち水し、釣灯篭へ火を点す。忠臣蔵の七段目の道具建の如し。」と述べました。
番付では西の関脇、大正元年、四条北側の道幅を広げて電車を通すため、表通りでのお茶屋営業は禁止になりました。

祇園新地・・・時代により多少変わりますが、前述の祇園内外六町から膳所裏、縄手店つき、西石垣の北部分を省いた所、東の小結で天保以前には祇園町とほぼ同じ評価を得ていたことが分かります。
江戸期には富永町に大店が多かったようで、玉屋、三升屋、近江屋、京井筒などが有りました。
さらに外六町ができた時、島原からの出店だったとも伝えられた富田屋の流れをくむのが今の富美代です。尚、現在、四条花見小路から南の祇園は明治になってからお茶屋街になりました。

西石垣・・・さいせきと読み、現在は鴨川べりの川端通りの中、南座の西側。
鴨川をはさんだ東側は東石垣(とうせき)といい今も名料亭などがあり花街の風情を残します。番付では膳所裏より上位

『武野燭談』(ぶやしょくだん)という書物に「石垣茶屋、河原を見下ろし、がけ造りにして、四壁金襴純子にて張、床をば畳をやめて天鵞絨(ビロード)を以包み、天井をば水晶の合天井にして、水をたゞへて金魚を放ち、障子はびゝどろを以て、四方はみえて内はみえぬやうにかまへ、珍膳美味を尽し、美婦是を配膳するほどに、貴賎共に金次第の遊興放埓なりしかば、天和中禁止される。」とありますが、どんな様子だったのか、ぜひ拝見したいものである。

祇園山・・・祇園山の遊里について書かれた文献は拝見したことはないのですが、円山公園から下河原にかけての高台を指したものだと思います。
この辺りは、北の政所が晩年に芸能のパトロンとして育んだ舞踊集団、山根子、近世風俗志では山猫芸者の本拠地で、六阿弥(ろくあみ)と呼ばれた六つの貸座敷を中心に、芸で身を立てていました。
井上八千代一世が、最初に舞を指導したのが下河原の山根子だといわれています。明治になりこの山根子は祇園の芸妓に同化し姿を消しました。
八軒膳所裏よりすこし位は下がります。

八坂前・・・こちらも推測ですが、八坂神社の正門である南門の前、清井町辺りを指したものと思われます。ここも明治になり、二条新地が廃止されると、二条の業者はここに移り、清井新地を名乗りました。渡会恵介の京の花街では祇園甲部、乙部に対し、祇園丙部の名があったとしています。八軒膳所裏より下位。

(*『京都私娼考』に八坂まえは八坂の塔の前という見解が出ていました。成程、当時は八坂神社は祇園さんと呼ばれていたはずですので納得、訂正します。2016、3月2日)


縄手みせ付・・・縄手通り沿い、大和橋より北、三条通りまでを指したものなら、古くから蛍茶屋の異名で栄えた夜のみあやしげな茶屋がありましたが、祇園新地が正式な遊所となると寂れ、安永には茶屋も二三軒になり、やがてなくなったとされるので、番付が発行された時には消滅していたはずです。
あるいは文献にはありませんが、四条より下の縄手を指したものかもしれません。
みせ付もよく分かりません、以前は大和橋縄手付近には祇園新地としての富田屋などの大茶屋があり、夏には鴨川の中洲に店をだしていたので、この店のことかとも思いましたが、それにしては八坂前と変わらぬ番付で矛盾しています。

尚、蛍茶屋は、昼間は褐色染の水引暖簾をかけ、煎茶などを出す店として取り締まりを逃れたとしていますので、あるいはその店をさしたものか、ただし蛍茶屋が栄えたのは、祇園遊廓の黎明期、謎の多い遊里です


by gionchoubu | 2014-07-21 16:23 | 祇園東 | Comments(0)