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by gionchoubu
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祇園東ぞめき 六

祇園東も甲部も花街の紋章はつなぎ団子ですが、これは昔お茶屋が水茶屋で参拝客にお茶と団子を出しいた名残りと言われています。
本来、茶屋株での遊女渡世は当然ご法度、紛らわしい茶屋女はたびたび当局により公許の遊郭であった島原に送られましたが、この傾向止むことはありませんでした。
一方、上記の記述とは矛盾するのですが、それより下がる事、文政時代(1818~1829)に発行された『扁額軌範』の絵図に描かれている祇園新地辺りは、殆ど畑か潅木の世界であることも付け加えておきます。
所謂天保の改革(1842)で、日本中の遊里、遊所といった所は大打撃を受け、京都の遊所も六ヶ月以内にこの商売をやめるか、島原へ移れとう厳しいものでしたが、翻って考えると天保の改革前夜は、幕府が堪忍袋の緒をきらすほど、繁栄を極めていたはずです。
その頃の日本中の遊里、遊所を相撲番付に諸国遊所競という一枚刷りがあるのですが、この番付に膳所裏が八軒せぜ裏として、番付の位でいうと全国の遊所の中では真ん中よりすこし上ぐらいのランクとして載ります。
この番付の評価に関して、『近世風俗志』の中で喜田川守貞は「左に写すものは天保府命前、諸国の遊里を相撲の番附に擬作せるなり。階級これを見て、その品位を知るべし。しかりといへども、また不序なきにあらず。尾(張)の宮駅は(大)阪の難波新地、京の五番町よりも勝れる者多し。尾の津島はなはだ劣りて、宮駅に比すべきにあらざる者をかへって上席に出すこと杜撰に近し。しかれども大略階級を正せりとす。いはんや駅舎等の遊女には遺漏はなはだ多かるべし。けだし三都に至りては、更に遺漏なきなり。ただ江戸の地獄をこれに加ふるは、過ぎたりとすべきのみ。」
この番付の評価に関して、『近世風俗志』の中で喜田川守貞は「左に写すものは天保府命前、諸国の遊里を相撲の番附に擬作せるなり。階級これを見て、その品位を知るべし。しかりといへども、また不序なきにあらず。尾(張)の宮駅は(大)阪の難波新地、京の五番町よりも勝れる者多し。尾の津島はなはだ劣りて、宮駅に比すべきにあらざる者をかへって上席に出すこと杜撰に近し。しかれども大略階級を正せりとす。いはんや駅舎等の遊女には遺漏はなはだ多かるべし。けだし三都に至りては、更に遺漏なきなり。ただ江戸の地獄をこれに加ふるは、過ぎたりとすべきのみ。」
つまり、江戸、大阪、京都の遊所は網羅しているが、遊所として江戸の地獄を加えるのは行き過ぎだ。名古屋の宮(五十三次、熱田)は難波新地(難波の道頓堀南からマルイあたりまで)や京の五番町(千本中立売より西)より上位にくるはずだ、さらに愛知の津島はずーと下位にくるはずなのに宮より上にくるのは杜撰である。さらに公許の遊廓も抜けているものがあるし、宿場の遊里にいたっては抜けているものが多すぎる、という事なのですが、たしかに江戸の地獄や大阪のどぐろ(富島あたり)、京都のしらみの辻(白梅厨子)のような下級遊所まで載せるなら、総数は倍以上に膨れ上がるでしょう。
この番付の対象の遊所は百八十七箇所、そのうち現大阪市に属するものが、三十六箇所、京都が二十九箇所とこの二都市が全国の三分の一を占めるというはなはだバランスを欠いたものになっているのは一目瞭然です。
実をいうとこの諸国遊所競とほぼ同じ順位の番付けで遊女の値段を加えた値段附の発行所は大阪高麗橋三丁目の河内屋、明らかな地元身びいきがあり、関西の遊所が多いのもならず、軒並み上位を占めています。
それゆえ関西の遊所のみ取り出してみると、その順位は現実に即したものであったと言っていいでしょう。
by gionchoubu
| 2014-07-20 12:52
| 祇園東
|
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