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祇園東ぞめき 四

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                 楽宴小路の火の見櫓、旧膳所藩の東端に位置します。
現在も祇園東で火伏せ(防火)の神様として崇められている観亀神社は膳所藩の中庭にあったもので、今のお茶屋組合に伝えられる由来では膳所藩の本多康慶の子、康命が御所火の番の藩内で火事を出せば恐れ多い、火伏せの神、遠州秋葉山の秋葉権現に勧請せよとの父の遺言により享保三年(1718)に膳所
茶臼山に勧請し、さらに御分霊をこの地に求めたもので、創建当時付近は竹やぶでこれを切り開く時亀がでてきて喜んだ故事によるものです。    

八坂神社の南門のすぐ先にある東景寺がこの秋葉権現を祀っているのですが、京都の郷土史家、田中緑江氏によると、いつの頃か京の町に大火があり、御所にまで火の手が及んだ時、塀の外で馬の音が聞こえ「遠州秋葉の火の神、火事を鎮めに参りました」と叫ぶ声が聞こえたので天皇が「早急に消すように」と云われますと「階位がありませんので御所へ参ることができません」との答えを聞き「秋葉の神に正一位を授く」と仰せられると、白髭蓬々、真っ白な顎鬚を胸にまで垂らした白馬に乗った翁が現れ、天皇に一礼したあと火の中に馬を乗り入れ、羽団扇をかざすとパタッと火がやみ、御所は無事だったという話を紹介しているのですが、京都の火災除は愛宕さんと相場がきまっており、保険として関東の秋葉権現を持ってきたのかもしれません。

緑江氏による歓亀(観亀神社は歓亀あるいは歓喜の字をあてがうことがありますが、神社内の表示は観亀、もしくは觀亀です)神社の由来は、膳所藩邸の池には緋鯉がたくさんいて、ある日中島で甲を干していた一匹の亀を目がけて裏の藪から突然狐が一匹、勢いよく亀に飛び掛りましたが、狐は池にはまり溺死、亀は助かりました。狐を庭内に葬り、その旨を膳所の本藩に報告すると、藩主は京屋敷の守護として稲荷を奉祀せよと命じたのがこの歓亀神社の由来としています。

その後、京都市外を兵火で三分の二を焼いた元治元年(1684)の兵火でも、翌年三月二十六日、富永町の茶屋、万屋仁左衛門から出火し二十六ヶ町を焼いた慶応の新地焼けでも、さらに大正四年、斉春から出火したときも、膳所屋敷のすぐ近くで火が収まったり、当時の乙部のお茶屋が一軒も焼けなかったのはみなこのお稲荷さんのご加護護とされ、深く地元での信仰を集めています。



この歓亀神社の一対の奉灯には、慶應三年四月と建立された日が刻まれているのですが、このほぼ祇園を焼き尽くした火事からも祇園東を守った、と信じた人々によって火事の二年後、感謝の気持ちで贈られたと推測しても、不自然ではないでしょう。そして祇園甲、東を含め江戸時代の遺構としても稀有な存在と云えます。

現在、稲荷神社の西、楽宴小路に火の見櫓が一際目を引きますが、実際江戸時代、大きい平屋建てでそこに火防道具が置かれ、馬場があり、平屋の屋上には背の高い火の見櫓がありました。



by gionchoubu | 2014-07-18 13:54 | 祇園東 | Comments(0)