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祇園東ぞめき 一

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私が好きな言葉に“ぞめき”があります。かつて遊廓の中を冷やかして歩き回ることを“ぞめく”と言ってその名詞がぞめきだったのですが、いまではわずかに「二階ぞめき」のように落語の世界でのみ聞ける言葉になりました。
そもそも“ひやかす”という言葉自体も吉原から出た言葉、紙漉き職人が紙を作る時に紙を冷やす工程があり、その間吉原で花魁の品定めなんかをしながら時間を過ごしたのが語源と言われています。

文学博士、湯沢幸吉氏の『廓言葉の研究』によれば、現在京の花街で“〜です”の用法で使われる“おす”も廓言葉の丁寧語で自立動詞・補助動詞として分類されています。

さらに一時期の東京の上流階級の言葉のイメージがある“ざんす”“ざます”も本来は廓(さと)言葉でした。

この様に遊廓・花街の言葉が現在に沢山生きているのはあまり知られていません。料理屋ででてくる所謂“お通し”や居酒屋の“付け出し”、お客が居ない時に“お茶を引く”や盆、正月などを“紋日”といったりするのもこの世界からきました。

迷信が生んだのがエテ公の“エテ”、お客が去るのを暗示する猿を嫌ったのです。

真偽の沙汰は不明ですが、歌舞伎で役者として女性が禁じられ男性が演じるようになったとき、まだ少年の役者見習いを“部子”(へこ)と呼んだりしたのですが、この美少年の部子に入れ込み、金も精も根も使いはたすのが“へこたれる”の語源になったという説も有ったりするのですが、中でも出色なのが、今やコンビニでも買えるお寿司、助六の言われです。

助六は元和時代、京都の中京区にいた実在の侠客で、当時の容色才芸ともに秀でた総角(あげまき)という島原太夫と浮名を流し色んなエピソードを残しました。これを江戸に舞台を移し脚色されたのが歌舞伎の『助六由緒仇桜』なのです。総角は揚巻とも書くので、江戸っ子のしゃれっ気でおいなりさんと巻寿司の折り詰めを“助六”と呼んだというのが由来になりました。
話が出来すぎで、ちょっと信じがたいのですが、これも廓言葉の可能性は大いにあるのです。


それでは300年弐わたる祇園東の歴史をぞめいてみます。
現在一般に祇園東と呼ばれる京都五花街の一つ、正式には祇園東お茶屋組合が祇園の母体と事実上袂を分ち合えたのが明治十四年、祇園の大部分が祇園甲部と名乗り、分離した所が乙の字をもらった後、明治十九年祇園乙部五業組合が出来て完全に独立、さらにその後明治三十三年祇園乙部貸座敷組合と名乗りました。


by gionchoubu | 2014-07-14 16:37 | 祇園東 | Comments(0)