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先斗町ぞめき 二

先斗町ぞめき 二_f0347663_14585799.jpg
                            都名所図会に描かれた高瀬川三条の生洲料理店

高瀬川が出来たのが慶長十六年(1611),鴨川に沿って石垣等の普請があったのが寛文十年(1670),若松町に五軒の建家が許されたのが延宝二年(1674),そしてぽんと丁の呼び名が始めて文書で確認できるのが、天和二年(1682),西鶴の『好色一代男』で「ぽんと町の小宿にかへりぬ」という下りです。

この時代に出来た町名は橋下町、若松町、梅ノ木町、松本町、鍋屋町、柏屋町、材木町、下樵木(こりき)町、斉藤町ですが、現在若松町の名がありません(*申し訳けありません、御指摘受けました。現在も若松町あります。)先斗町は、間接的にここを支配した京の遊廓の元締であった嶋原が正式町名でないのと同様に、上記の町名の総称で親しまれ、京の人に下樵木町といってもだれもピンとこないのは、嶋原の正式名称が西新屋敷で馴染みが無いのとよく似ています。

似て非なるは大坂の道頓堀で、道頓堀が正式名称になったのは、ごく最近のことです。しかしその陰には九郎衛門町、坂町、西櫓町など、浪速の人にとって大切な名前が抹殺されました。郵便や区役所の利便性のために、歴史の源が封殺されたのなら実に残念なことです。町名はそこに住む人のプライドの根源であると私は確信しています。

先斗町に戻れば、丁度三条でこの細長い町にふたをするような形で存在するのが石屋町で、高瀬川を開発のおり、石材を持ち込み、販売したものの居住地だったのが町名の由来と聞きます。花街としての歴史は、正徳二年(1712)新河原町通り(先斗町)に並生洲株が許されるあたりより始まるのですが、これを依願したのは、現先斗町と四条通を挟み鴨川に沿って南に伸びる、いわゆる西石垣(さいせき)の北端の斉藤町で、当時は先斗町に属していました。

当時の斉藤町は現先斗町の南端(つまり四条通り側)を含んでいましたが、大正元年の四条通り拡張の際、この部分を柏町に譲り現在の区割りになりました。生洲株とは、川を囲いで堰きとめ、生きた魚を供する権利を得た料理屋ですが、鰻、鱧、鯉などが饗された。その後、先斗町でも茶屋株、旅籠屋株を得て、いわゆる茶立女を差し置くことになります。

さて、西鶴や八文字屋の本によれば、享保年間(1716~34)にすでに先斗町は繁盛をみていたらしいのですが、詳しいことはわかりません。史実に現れた先斗町の最初の女はたぶん、元文三年(1739)聖護院の社で心中した先斗町近江屋金七お抱えのおやま(遊女)お俊で、相手の呉服屋井筒屋伝兵衛とともに世を儚み首をくくったとして『京都先斗町遊廓記録』他、緑江さん他、これを参考にした複数の著書で見られるのですが、京都新聞社発行『名作散歩歌舞伎と京都』によれば、この事件が起こったのは元禄十五年(1702)ころのことで、その証拠に享保三年(1718)「おしゅん伝兵衛十七年記」の上演記録を出しています。

さらに、この本によれば、元文三年には別の事件、美談が建て続きに起き、お俊、伝兵衛の心中とあわせ、浄瑠璃や歌舞伎の「近頃河原の建引」になったと説明しています。この『名作散歩歌舞伎と京都』は示唆に富んだ昭和五十年発行で、編著者は個人名が書かれていなく、京都新聞社になっており、同じく元文三年初演で、先斗町が舞台の『敵討つれづれの錦』の項で、貞享三年(1686)及び元禄九年の地図では小刀丁と書かれているが、宝永六年(1709)年で初めてポント丁に替わる、先斗町の先は小刀の先ではないか?と特筆すべき記述をされています。
by gionchoubu | 2014-07-11 14:59 | 先斗町 | Comments(0)