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祇園ねりもの 二十一

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守貞謾稿に載る十三軒の見世(置屋)は天保十一年発版『祇園新地再見図』の地図上で全て確認できます。

1、井筒屋(定次郎)  2、万屋(安兵衛)  3、吉田屋  4、近江屋   5、京井筒屋   6、玉屋 7、三升屋  8、井筒屋(庄兵衛)  9、万屋(嘉吉) 10、京屋  11、井上屋  12、桜井屋 13、常盤屋
  14、扇九  15、一力

この1~13の見世には芸妓、舞妓だけでなく、娼妓も所属しています。
これより前、寛政十三年の『祇園遊女細見』では一力、扇九さらに練り子を出した見世とし名前が残る新(あたらし)屋、宇治屋などを含め十九軒の見世に239名の娼妓の名を見ることができるのですが、全く御馴染みの無い見世もあるので、寛政時代には娼妓だけで芸妓が所属しない見世もあったと想像されます。又、一力、扇九などは天保には見世の機能を持つのをやめ、多少のお抱え芸妓、娼妓はいてもお茶屋として営業していたものと考えられます。

さて、『守貞謾稿』に収録された天保十年刊行『園の花』から、この十三軒中の代表として万屋(安兵衛)に所属する芸妓(舞妓、義太夫芸妓含む)五十五人の名前が確認できるので、以下天保期間万屋から出た練り子の名前を比較すると、

天保五年、まさ、うのか、光栄、とみ、同六年、徳松、りう、春の、同七年、わか菊、わかな、あさ鶴、つき鶴、同八年、梅哥、梅吉、まさ、同九年、八重、巻の、小うた、同十年、鶴葉、哥栄、歌の、小辰、はる、同十一年、房鶴、咲鶴、咲松、ふさ栄、

一致するのが徳松だけと言うのはどう理解したらいいのか分からないのですが、ここで止まってもしょうが無いので先に進みます。

天保の改革で祇園も茶屋営業がご法度になったと前回書きましたが、当時祇園でも一番と歌われた井筒茶屋の名物女主人お寅は機転のきく人で、四条通に面していた見世を、腰掛茶屋、今で言う喫茶店として転業して、大成功しました。このお店の様子は再撰花洛名勝図会でも確認できますので、相当の評判をとった様です。

そして、再びお茶屋営業が許された八年後の嘉永四年のさらに六年後刊の『全盛糸の音色』を見ると、上記の十三軒のうち、吉田屋、京井筒屋、玉屋、万屋、桜井屋の名は見ることが出来ないものの、見世自体は十六軒に増えました。

この後、万延元年のねりものが江戸期最後のねりものとなるのですが、幕末の動乱、戦乱で祇園はねりものどころでは無かった様です。

祇園の話題も練り子の評判ではなく、勤労の志士と芸子の噂で持ちきりだったことでしょう。慶応三年刊『四方の花』に、新参の見世、嶋村屋に沢山の芸子の名が書かれていますが、その中に勤皇芸妓として名高い君尾の名を見つける事ができます。


by gionchoubu | 2014-07-02 11:54 | ねりもの Gion Nerimono | Comments(0)