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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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祇園ねりもの 十九


祇園ねりもの 十九_f0347663_14472411.jpg
文政三年(1820) 緑江さんが催行の年にも入れていない長秀画の絵番附があります。先囃子三味線四人、太鼓二人、これに男性ゆえ絵に描かれていない大津屋の千八という幇間が先囃子に加わります。練り子は僅か十人で、一枚絵が確認できる嵐吉役笹原隼人、桜井や菊松、その他中居、にかわ万才、宿引女などが見えます。あんどう題もありません。版元はやましなや左七はん(板)と読めます。こちらの絵番附は、雑誌『ぎをん』163で確認することが出来ます。 
                                      
文政四年(1821) 長秀の絵番附 あんどう題なし、先囃子、太鼓二名、三味線五名、鉦一名は鳥羽屋の幇間さの八ですがやはり絵姿はありません。以後も幇間連中は名前のみで一切(一回だけ例外あり)描かれません。練り子は十七名、大星力弥(さくら井や栄の)鬼市虎蔵(うじやつる江)道成寺白拍子(み升や小とま)等、後囃子は幇間の大津連。長秀のそれぞれの出演者の番附けがあります。
この回の一枚絵の多くを早稲田大学演劇博物館浮世絵閲覧システムで閲覧できます。

文政七年(1824) 長秀の絵番附 あんどう題不明、先囃子、紅葉狩、練り子二十三名、富士太鼓(京いづつや千栄)嵐橘太郎役頼政(祇一力いろは)風流女猿廻し(うぢやきみ鶴)等、後囃子は石橋姿幇間の花扇屋連十名、太鼓、鉦、大太鼓、小鼓、胡弓、笛、三味線と大変賑やか。

文政八年(1825) 緑江さんは催行年に入れていますが、本文の記載がありません。

文政九年(1826) 長秀の絵番附 先囃子十一人、練り子二十七名、行平(三升や梅の)重の井(井筒や小とら)弓張月白縫姫(さくらいやひさの)等、後囃子に鳥羽屋の幇間連中。

文政九年に刊行された『鴨東四時雑詞』に中島棕隠が詠んだねりものの漢詩があります。更番扮戯喚呼頻。品得妙年殊色人。後隊旋随前隊去。幾双団扇払炎塵。という物ですが、面白いのはこの後に続く部分で「祇園の神会、本日前後、熱閙亦甚し。五月晦、及び六月十八日、鴨東四条橋東に在つて、神輿を洗浄す。之を神輿洗と謂ふ。是の日たるや、鴨東の茶坊・娼戸・夥を結び銭を醵し、翠を斂め香をホウして雑劇戯文の故事を演ず。其の人物は娼妓を扮し、浄旦の諸装を為す。又纏結して棚を為し、其の首尾を押し、楽は三弦・胡琴・堤鼓・鉦鼓・細腰鼓有り。毎隊、珠翠錦綺、香紈白紵、艶装濃沫、観者嘖嘖たり。要は無頼の子弟を勾引して奇貨と為すに過ぎざるのみ。」
ねりものの華美な装いなどを褒めそやした後、結局道楽息子に散財させると結んでいます。文政なら練り子は芸妓以外考えにくいのですが、娼妓と書かれているのはどう解釈したらよいのか?
文化二年版、並木舎五瓶著『誹諧通言』の祇園神輿荒祇園の会に「六月七日十四日十八日芸子のねり物出す」と書かれているのも付け加えておきます。

棕隠は今でも京都の五花街で舞妓が必須舞の「京の四季」を作詞したとされる程祇園になじみの深かった漢学者で、放蕩の末、自らも二条新地で銅駄余霞楼、つまり「どうだよかろう」というしゃれのきつい料理屋を経営していた事でも知られています。

文政十年(1827) 長秀の絵番附 先囃子九人に小弓(胡弓)加わります。鉦は幇間が担当、練り子十九名、町娘(京いづつ屋小辰)風流木六駄(松本や菊葉)もさ順礼(新しや今菊)等、後囃子は花扇屋の幇間らが石橋姿。

 


by gionchoubu | 2014-06-30 14:51 | ねりもの | Comments(0)