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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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祇園ねりもの 十一

祇園ねりもの 十一_f0347663_12260554.jpg

祇園ねりもの 十一_f0347663_12434481.jpg
宝永花洛細見図
お迎え提灯


緑江さんの説では、祇園ねりものの起源は、祇園祭りの期間中に神輿を鴨川の浄水を注いで祓をするのが神輿洗、氏子の人たちが提灯をもって神輿洗迎えに出たのがお迎え提灯、このお迎え提灯にいつしか仮装した人が加わり、分かれて「ねりもの」になったとしています。

緑江さんは祇園ねりものが始められたのは元禄あたりとし、当初しばらくお迎え提灯の変装くらいの過度期が続き、ねりものらしくなったのは宝暦の始めの頃からではないかと考え、宝暦十四年の中村露香氏蔵の番付を現存品最古の番付として載せました。

そして昨年『祇園祭・花街ねりものの歴史』では緑江さん未見であり、現在祇園祭りねりものとしては最古の摺物史料、宝暦五年刊の「祇園ねり物絵づくし」が紹介され、祇園ねりものの歴史に新たな展開を見たのです。この史料は京都の新村出記念財団重山(ちょうざん)文庫に眠っていたもので、私も早速出かけて拝見したのですが、保存状態の良さ、色鮮やかさに驚きました。

まず版行は祇園石段下に店をもっていた萬屋仁右衛門という人で、本書で紹介されている他、上記宝暦十四年の花の所縁、明和二年の名仁波富里、総角語栞も同じ版元になっています。ちなみに萬(万)屋、井筒屋はお茶屋で最もよく見る屋号で、一力さんも万が語源ですし、慶応の新地焼けという大火事の火元も冨永町の万屋仁左衛門というお茶屋でした。

この祇園ねりもの絵づくしをみますと先囃子は揃いの赤い着物に、柄は違えどお七結びの帯で統一、このお七結びが後の舞妓さんのシンボル、だらりの帯に進化したのでしょう。頭には、あんどう題の夏神楽らしく団扇を頭に飾ります、この遊び心に満ちた団扇頭は以後見かけませんので途中で外れたりして評判がよくなかったのかもしれません。髪型はかもめ髱が特徴の元禄島田(あるいは抛げ島田)だと思います。

ちなみに、現祇園祭の後祭りで祇園東の舞妓さんが八坂神社で奉納する小町踊りが鬘ではありますがこの元禄島田です。くらげ取の海女役の髪型は一見、江戸初期の遊女に良く見られる唐輪と思ったのですが、本書の説明で磯髷と知りました。

この行列がまだ町方のねりものの名残を色濃くのこしている理由を挙げると、基本女の役柄が髪型を変えずにすむ手っ取り早いものである事、六尺六人が駕籠に入れて担ぐのは人形、即ち作物がねりに加わっている事(生き稚児ならお母さんが付き添うと思うのですがどうでしょうか?)男性が多い事、などが挙げられると思います。

とにかく、この行列の全貌を解き明かすには、祭礼、浮世絵、花街、服装、髪型、楽器、色々な専門家の力が必要になると思います。

さて、大坂島之内の宝暦元年の練物は遊女の行列の可能性が強いも、芸妓の可能性を完全に否定しませんでしたが、宝暦五年の祇園ねりものの妓は芸妓の妓でなく娼妓の妓、すなわち遊女と考えられるのですが、その理由は次回に持ち越します。

by gionchoubu | 2014-06-03 12:21 | ねりもの | Comments(0)