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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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祇園ねりもの 二

祇園ねりもの 二_f0347663_14424401.jpg

同じく三重県四日市でも旧暦七月二十七日、諏訪神社例祭、四日市祭りにて古くから黎が奉納されてきました。これは各氏子町から奉納されたもので、少なくともその発生は花街のねりものとは別で、町練として分類されるべきものです。

古くは享保九年(1724)、神社から郡山役所への明細帳に「濱田より大山車二輌、四日市より二輌、他に練物少々御座候」とあります。その後宝暦三年に那須与一と扇の的の練り物の記録、天明八年には司馬江漢の『江漢西遊日記』に「廿六日 天気 アブラ照、暑し、四日市諏訪祭ナリ、夜営ニて亀六 と参ル、京風の山と云フ物出ル、富士の巻狩のねり物を見物す、」と見えます。

四日市の黎は歩く人が主体の人練り、からくり人形をのせた二層三層の山車を動かす山、一種のハリボテを使った船の三種に分かれるようで、これに古市の人が台の上に乗って担ぎ手によって運ばれるものを入れると黎の基本形が出揃い、祇園ねりものはこの人錬りの進化系といえると思います。

さて、司馬江漢が富士の巻狩を見物したすこし前、安永年間(1772~1781)のものとされる黎物の一覧があるのですが、北町の七福神、上新町のおもいおもいの黎物、竪町の朝鮮人、西中町の船づくし、東中町のかさぼこ、北条町の魚づくし、下新町の打物づくし、浜町、中納屋町の関船、新丁の一の谷二段目、蔵町の唐子、北納屋町、東袋町、南納屋町の鯨つき、桶之町の百物語、新田町、北浜田の鹿がり、江田町の太神楽そして南浜田の富士の巻狩り、などたいへん大掛かりなもので、後年幕末から明治初期に成立したとされる伊勢四日市諏訪神社御祭黎物という木版刷りと対比してみると、四日市の京都の黎物が祇園祭でいう鉾(四日市では大山と記載)や山、西町がだしていた神輿や雅楽の奏上を含めすべてを黎としています。

ですから四日市からみれば京都の祇園祭りの山鉾巡行すべてが黎という事になるのでしょう。この中で新丁(今の新町、新々町、新町一区)の一の谷二段目は明治時代に菅公山車に変わったのですが、町練りでご祝儀を頂いた家で所望(しょもん)とと呼ばれる演技をするという記述があります。

これはまさしく祇園ねりもので、馴染み客から所望(しょもう)の声がかかるとそこで練り子は立ち止まり、その衣装に関する舞いを舞った見せ場と同じで、今のところ、少なくつもこの件に関しては。四日市の方が、京や大阪の花街のスタイルを踏襲した物と私は考えています。

四日市祭りで神輿、大山車は神事色の強いもので、各氏子町から出た黎は神前に奉納される余興のようなものだったとされるのですが、これも京都の祇園祭りに於いて、神事とされる山鉾巡行とは別に行われた、芸妓によるねりものとの共通する点と指摘ができると思われます。さらに船づくし、魚づくし、打物(雅楽の楽器や武器など)づくしなど「~づくし」も花街のねりものと一致しているのですが、これは所謂「風流」の系統をたどるもので源流は同じものと考えていいでしょう。

以上の内容は平成二十一年に四日市の祭りを学ぼう会から発行された『四日市祭り』を元に書いているのですが、この本のなかで*の替わりに黎の字を当てる理由や、さらに黎と練りの区別まで言及されている非常な労作となっております。四日市は東海道五十三次の宿駅さらに伊勢参宮の旅客も立ち寄った場所として江戸の中ごろから大いに榮え、戦前まで、北町の娼妓に対し、お隣の南町には芸妓町だったのですが、この南町の安永の黎物一覧に「踊り染分手綱合戦二戦」とありますが詳細は不明です。

昭和初期に地元の画家である出口對石が書いた四日市祭りの絵の一枚に、山車の後ろに底抜け屋台で鳴り物を鳴らす芸者衆の姿が描かれており、戦前まで花街が補助的な役割とはいえ四日市の黎物に関わった事が分かります。現在も四日市祭りで人練りである富士の巻狩りが初期のすがたを留めており、四日市祭りのシンボルである大入道が安永時代の桶の町の黎であった百物語事にも思いをはせ、是非ともこの祭りを拝見したいものです。

*旧字体の為表記できません



by gionchoubu | 2014-05-25 14:32 | ねりもの | Comments(2)
Commented by 四日市祭実行委員会 at 2014-09-11 09:08 x
ブログを拝見し、とても勉強になりました。
また、当祭を紹介いただきありがとうございます。
本年の例大祭は10月4日5日に開催され、5日に各邌ネリが神社に練り込みます。
今年は、富士の巻狩りが3年ぶり、大入道が2年ぶりに奉納され、四日市祭に現在伝わる全てのネリが揃います。
ぜひ、お出かけください。
詳細は「四日市 諏訪神社」の公式HPでご確認ください。
Commented by gionchoubu at 2014-09-13 12:38
コメント頂き有難うございます。
三重県が好きで、四日市も何度か訪れさせて頂きました。
北町、南町に昔の面影はありませんが、西新地の公園あたりに僅かに紅燈の面影を見出すことができました。
高砂町では高名な料亭が、かつて花街が栄えた港の繁栄を忍ばせてくれました。偶然ですが、富田旭新地跡も確認することができました。
ヤトナ(雇仲居)ばかりの住吉町は全国的にも珍しいので、是非保存に動いてほしいと思います。
今年は仕事でお祭りにはいけないのは残念ですが、いつか機会をみて必ず訪れるつもりです。
そして何もないでしょうが、三滝川の北の河原町にも・・・