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木辻遊郭ぞめき 2

f0347663_10444529.jpg
木辻をもって日本最古の遊廓とされる文章に出会うことがあります。これを検証するには遊廓の定義から考えていかねばなりません。

明田鉄男氏さんは『日本花街史』で花街(遊廓)の定義を「遊女屋、芸者屋などが集合した機能的に統制のとれた地域」とし狭義の花街は天正十七年(1589)の秀吉が認可した京の二条柳町の遊廓としています。

私の調べた限り、木辻にそれ以前に遊廓の存在は確認できず、最古と言われるのは、ただ京の都より奈良の都の方が古いから・・・ぐらいの気分で口にのぼるのだと思います。

『黙魯庵漫録』新藤正雄、印刷及び発行所によると、町の両口に吉原の様な大門があり、遊女は玄関取次ぎの男袴を着て出客を迎え、主座の女をバンヤと呼んだとの事で甲子夜話の巻五十六の第十五項に書かれているとしております。

元禄頃には木辻の遊廓はもっとも盛んで柳里恭の随筆には木辻の名がたびたびでているそうです。(文芸倶楽部第八巻第六号定期増刊より)

『諸国遊所競』で木辻は前頭の最上段で京の先斗町や北野七軒(上七軒)の上位にあります。江戸時代に於いて木辻がかなり全国的に知られており、それなりの格を備えた遊所だったはずです。

昭和五年九月十四日の大阪朝日新聞奈良版によると、

「木辻遊廓に絡る証文。古来全国に知られた奈良木辻遊廓の遊廓史というやうなものが編纂されるなら、そのうちの興味ある一ページを占めるだろうところの資料が最近北城郡王子町の考証家保井芳太郎氏によって掘り出された、明治七年の右証文がそれである・・・文面によると、

明治五年十一月(実際は十月二日)御解放の御布令があった翌年一月御改正に相成り、木辻の元傾城屋十一戸のうち碎郷社(森井直七ほか四名)と花郷社(中川亀吉ほか五名)の二つの会社だけは営業を許された。だが両会社とも一戸につき芸妓三人、娼妓七人、合計十人以上は決して抱え申さず・・・

というのである。

右のほか文政ごろの多少古いところで十三歳位の娘を向こう十何ヶ年という長い年期で苦界へ沈めたという芝居がゝりの証文も一束になって現れた」

新政府の「芸娼妓解放令」の三ヶ月後には、再び遊廓が息を吹き返した様子が受け取れます。


# by gionchoubu | 2019-06-24 10:49 | 亡くなった奈良の遊廓 | Comments(0)

とし菜実ちゃん


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昨日、宮川町、駒屋のとし菜実ちゃんと写真を撮りました。

# by gionchoubu | 2019-06-21 10:41 | 宮川町 | Comments(0)

奈良 木辻遊郭ぞめき 一

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                        静観荘

『大和名所図会』に「南都の傾城町は木辻鳴川(きつじなるかわ)といいて、縦横にあり。此所の初は豊臣太閤に仕えし虎蔵・竹蔵という二人の奴あり。秀吉公薨去の後蟄居し、両人兄弟のむつびをぞなしける。

竹蔵は其頃南都に住し、堀氏の養子となり、堀市兵衛と号し、虎蔵は洛六状三筋町に住居をかまえ、其時の全盛たる太夫萬戸という者をかたらい、寛永六年に南都において傾城町を訴訟し、遊里を創建す。」

これは明らかに藤本箕山の『色道大鏡』の日本遊廓総目の第九大和国奈良からの抜粋ですが、大変分かりやすく纏められています。

色道大鏡によれば、「是より先、浄土辺に遊女少々ありつれども、家を隔て住ければ、今のごとく、一郭とさだまらざりき。」とあり。この浄土は木辻村北方の城土村のことだと思います。

直ぐ近くに南風呂町(いにしえ元興寺さかへし時風呂屋の跡なり)北風呂町(慶長年間1596~1615銭湯があったとも)があるので湯女のたぐいであったかもしれません。

他の傾城町がそうだったように町中に散らばっていた遊女屋を集め遊廓をなすことにより、風俗の管理とともに、冥加金(税金)の徴収が叶うという大きなメリットが取り締まる側に生まれました。

『奈良坊目拙解』では慶長年間に茶店二、三軒ができて遊女を置いたのが始まりとしています。

さて木辻遊廓が誕生した寛永六年(1629)は京は六条三筋時代で大阪の新町遊郭が営業を開始した年でもあり、女歌舞伎が禁止された年でもあります。

京の島原、江戸の吉原、大阪の新町は幕府直轄の遊里でありましたが、奈良の木辻は奈良町奉行の支配下にあったと思われます。

色道大鏡によると、この遊廓の特徴は、地元の傾城三分の一で多くは他廓からの預かり女や仕切り女だったと言うことで、さらに他廓にはいい遊女を送ることはないので、木辻にすぐれた女は少なかったようです。

また禿や遣手もいないので、遊女は履物も自分で取り出す様は下女の様だとも評されていました。

揚げ代は一番位の高いのが小天神で二十一匁、圍職(鹿恋)が十五匁、半夜九匁、端女郎八匁でした。太夫、天神がおらず、小天神が最高位で揚屋十一軒でした。

同時期の京の島原では太夫が五十八匁、天職(天神)が三十匁、圍職十八匁、半夜十一匁となるので同じ位の遊女は木辻がやや安いという事になります。

井原西鶴の『好色一大男』にも「あない知人。所自慢。爰(ここ)こそ名にふれし。木辻町。北は鳴川と申て。おそらく。よねの風俗。」とあります。

又、「禿もなく、女郎の手つから。間鍋の取まわし。見付ぬうちは笑しく。」

当時、禿のいない傾城町はよほど珍しかったと見えます。

参照:上記以外、『奈良の地名』平凡社

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# by gionchoubu | 2019-06-19 11:36 | 亡くなった奈良の遊廓 | Comments(0)

中書島遊郭の歴史 その八

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昭和31年6月4日の京都新聞

『廓の作者 西口氏の場合』

『春の宿が下宿屋に転業』

『父祖の商売を捨て』

『接客婦も管理人に更生』

売春防止法が成立、貸席業者の行方が注目されている際、ベストセラー“廓”の作者、西口克己氏(43)がこのほど中書島で経営していた貨席を下宿屋に転業したが、これは法案の成立後転廃業を迫られている業者に一つの行き方として注目されている。

西口氏の生家は著書“廓”に書かれているように明治三十九年から貨席“末広”を営んでいたが、西口氏“郭の子”としての劣等感に悩まされ、結婚、就職など日常のあらゆる出来事に苦い経験を味わい、また西口氏の思想的立場と相容れないところから早くから転業したいと思っていたが、資金に困り、家を売るにも引越料すら出ない安値をつけられるので行悩んでいたところ、著書“廓”がベストセラーになり、印税収入が入ったのを期に四月一日付で廃業、昨月二十五日から開業したもの。

改築には三十万円をかけ、屋根、カベなどを修理、部屋は八畳(元散財部屋)一間、四畳半十三間、三畳三間をそのまま使い、月千五百〜二千五百円ですでに独身の会社員二人が入っており、学生数人の申込みもある。

また最盛時八人いた接客婦たちも廃業時には三人になっていたが、二人は生業資金をもらって故郷に帰り、残ったK子さん(25)は管理人として新しい人生へ再出発。生きがいを見出している。

西口氏は「下宿をやってもうけようとは思わない。実情に応じて部屋代は安くすることも考えており八畳は入居者が集まって読書会などをやるために残している。

この部屋で入居者たちと話し合ったり、時には巡回映画をやりたい。」と将来のプランをたてているがこの西口氏の転業に中書島遊郭内六十軒の業者たちは

「転業は考えていても資金繰りでいき悩んでいる。赤字でも店を閉めれば倒れるので政府の援助がきまるまでは石にかじりついてもやって行かねばならぬ」と冷たい眼で見ているものの「二年後に転業する時の一つのケース」として注目している。




# by gionchoubu | 2019-06-16 11:17 | 京都の花街・遊廓 | Comments(0)

売春防止法 赤線、青線

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                    彦根市袋町新地

売春防止法が成立(完全施行は二年後)された直後の滋賀、京都の赤線、青線の様子が当時の新聞に捕らえられていましたので紹介させて頂きます。

昭和31年5月23日、京都新聞滋賀県民版

『赤線地帯暫くは成行を静観』

“売春防止法”が二十一日遂に成立した。抜け穴だらけの法律とはいえ永年廃しょう運動に努力してきた婦人団体などの悲願が実ったといえよう。だが肝心の業者や接客婦たちはこの法律をどのような表情で受取っただろうか・・・・。

『まず夜の検番を廃止 組織の解体もボツボツ』

大津 大津市馬場町の赤線地帯の業者組合湖楽園理事長伊庭重五郎氏、五十五業者―は二十二日午後一時から組合事務者で議会を開いた。

この総会で三十一年度の事業予算などを審議したが、席上「買収防止法」の参院通過成立の現在、自粛の意味からも検番の夜間執務を来月一日から取りやめることを申し合わせた。

これは検番の仕事を昼間に限り単に税金などの事務的なものと残務整理的なものとし、従来のような花代の計算などは各事業者自身で行おうというもので、業者が組織解体への一歩を踏み出したものとして注目される。

この日の総会にはほとんど全組合員が出席、例年通り予算審議を行なったが、話題の中心はやはり「売春防止法」の成立による今後の業者の立場で“運命付けられた”あきらめと共に問題が生活に直結するだけに深刻な表情だった。

検番の夜間閉鎖も過度的な措置として別に異論もなく、その他の具体的な問題もなく、その他の具体的な問題についてはまだ法案の研究も十分進まないところから見合すなど慎重な態度を示していた。

ただ今後の問題としては廃業資金の獲得が不可能な場合、減税運動を起こすべきだという向きもあり。

同組合だけでも一日税金五万円(国税、地方税)といわれるだけに全国業者の動きが注目される。

『常と変らぬ客引き合戦』

彦根 成立のその夜彦根市袋町新地は、紅の灯も絶やさず四十業者は相変わらず開店、六十余人の従業員は三万九千本(一時間四本、一本単価百円)近い花数を挙げるという常と変らぬ盛況ぶりで、防止法の成立などドコ吹く風といったところだった。

「われわれもすき好んでこうした商売をしているのではありません。いずれ組合に諮り適当な時期に料理、旅館、喫茶店などに転用するでしょう」と高田県貸席組合連合会長が語れば、客席にはべる彼女たちは「社会施設さえ完備していれば問題ないですよ。私としてはかえって性病予防に貢献しているぐらいだわ」と紅い気炎を吐いていた。

_________________________________

続いて昭和31年6月2日 京都新聞(夕刊)では青線の様子が描かれています。

『ヤトナの売春に断』

『契約の雇主を送庁 二人から手数料徴収』

府警保安課では買春防止法の成立に伴い、問題となる新研芸妓(通称ヤトナ)と雇主の買春契約についての研究を重ねていたが、このほど勅令九号を適用、悪質な売春契約を行なっている雇主を検挙するという方針を立て、その第一号が一日朝送庁された。

これは赤線区域とは別にとかく問題になっていた青線区域、ヤトナの二枚鑑札に断を下したことになり、またヤトナ制度が京都特有のものだけに今後の成り行が注目されている。

勅令九号違反容疑で送庁された雇主は京都市東山区東大路松原上ル二丁目新研芸妓置屋八坂寮主KE(48)で昨年七月A子さん(31)同年十月B子さん(26)去る二月C子さん(19)の三人を前借四万〜一万円で住込みとして雇入れ、昨年初めまでに正常な接客行為以外に売春した際、花代として手数料をとる買春契約を結んでいた疑いで、A子については昨年七月から去月初まで約八十回、契約に従い買春手数料として七万余円(税金、組合費込み)を徴収していた。

保安課ではヤトナは客席にはべって接客サービスするのが本来の業であり、雇主は芸を売ることについてのみ女と雇用契約が許されるわけで女に対し買春を強いることは出来ないし、契約も違法であるという見解をとっている。

解説 勅令九号とは(第二条)婦女に売インをさせることを内容とする契約をしたものはこれを一年以下の懲役または五千円以下の罰金に処す。





# by gionchoubu | 2019-06-13 15:01 | パンパン、赤線 | Comments(0)