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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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米子灘町遊郭ぞめき 一

米子灘町遊郭ぞめき 一_f0347663_11065361.jpg
『鳥取県史』によると、安政五(1858)年八月米子灘町の廻船問屋のものたちが、他国の入港のとき、飯盛女を置いて接待させることを願い出たところ、灘町の廻船問屋のみに、制限数を設けて他国生れの婦人を雇うことを許しました(「御国日記」)と有ります。

『米子市史』(『新修米子市史』ではありません)によれば、米子には江戸期より灘町には飯盛女置き、港繁栄の一策として公許されていました。しかし次第に東西南倉吉町の宿屋町へ進出し淫を鬻いだので県は国の方針に基づき明治五年、指定地以外の娼婦を原籍復帰する様示達するよう申し伝えたと言います。

ただし極貧の子女で親が許せば例外としました。

当時米子にかなりの遊女がいたようで『西洋だんご夜相撲見立鏡』が発行され、相撲の番付仕立てで、遊女の出身地、町名、名前を記したものがありました。

鳥取は売女といったものに特に厳しい眼を向けた地域であったようで、明治九年に出された「娼舎設置願不許可のこと」を見ると、

「或は娼妓に類似するも東西の割烹店等に散居し、方言之を団子という。東京の地獄の如し。陰に客を引き、淫をひさぐ事数多之有る。風俗の乱るる実に論ずるに堪ず。娼妓の憎むべきも之に比すれば其の害の少なるを覚う。」

地獄とは私娼の事、つまり私娼が蔓延るよりは、まだ公許の娼妓の方が害毒が少ないと訴えているのです。

私娼の異名は沢山あるなかであえて地獄を用いた事でもこの県の売女に対する気持ちが汲み取れます。

さて、団子の由来には諸説あるようですが、『猥褻風俗辞典』で宮武外骨は

団子 出雲および因幡にて公娼私娼を言う。徳川時代の中期頃より始まりし語にて今(明治末期)なお行わる。団子のようによく転ぶ(売春に走る)との義なり。桂園子の『出雲なまりに』にも「ダンゴ―娼妓、酌婦、転ぶの意」あり。

『改訂 米子の伝承と歴史』生田彌範著によると、生田氏自身も上の説を由来と思っていたものの、江戸時代に境港で住み込み女中に「だんご」を持たせ船頭や船夫の機嫌をとった。船頭たちは思いがけない接待に歓び話がはずみ、そのうちに約束が出来上がって上陸がはじまる・・・という説を新説として紹介しておりますがどうでしょう、海の荒くれ男達が団子に喜び話が弾むとは私にはとても不自然に感じます。

「娼舎設置願不許可のこと」に戻ると鳥取県の鳥取町、米子町、境港、西郷港の様な場所に娼舎(遊郭)を設置し、梅毒の検査をし、厳しい規則を設け、相当の税金を徴収し、野合密売淫は排除し、県の風俗を正したいとの主張は受け入れられず持ち越しとなりました。

平たく言うと遊郭の設置が認められなかったということです。

実は明治五年の布令の際、原籍に戻った子女も多かったものの、反面又は弾圧の裏を潜り、宿出会と称する男女の密会野合が流行していたという背景があったのです。


米子灘町遊郭ぞめき 一_f0347663_11072188.jpg
             印象的なこうもりの意匠のある建物、2010年撮影


by gionchoubu | 2018-10-16 11:09 | Comments(0)