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by gionchoubu

京都パンパン赤線時代 二十五

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京都新聞、昭和25年4月9日

七年ぶり、戦後初めての都をどりが南座にて催されました。祗園甲部歌舞練場が進駐軍に接収されていたので南座が会場になりました。この日の紙面で、京大の猪熊法学部教授、一力茶屋の杉浦治郎右衛門氏のあと井上流の名手、松本さだの『昔は総踊りばかり、クルワを出るのは始めて』が載りました。

「七年ぶりで復活したことはなによりもうれしいことどす、こんどは松竹さんの協力で南座です。クルワを出るのははじめてのことではれがましく思いましたし、舞台の仕勝手もちがうのでおけい古も一生懸命やりました、あてらが出ていましたのはもう古い話でおぼえておりませんけど、舞台はたしか今の歌舞練場の西側のとこどした、その時分は“中ばさみ”というようなものはなく総踊りばっかりで、特に自分のする役というようなものもなく余り頭に残ってませんがけい古のきびしかったことだけははっきりおぼえています。

都をどりはよいやサの声をきくとやはりなつかしく昔が思い出されます、衣装はあてらの時分は皆金キンどした、友禅になったのはつい最近の事どすが、肩からの柳桜の模様は今も同じどした。わての舞台はほとんど男物どすが、二十五の年からもうひきましたので、ごく短い間しか出てないことになります。後はしかる役にまわってきたようなわけですが、世の中も変りましたが、久し振りの舞台だけに、芸がおちたなどと言われないようにと気を入れておけい古をしました。

今年は吉井先生に詞をつくっていただき。猪熊先生に構成をみてもらいましたので、ちょっと今までのとはちがった舞台がお目にかけられました。」

京都新聞、昭和25年4月11日

『春を飾る京情緒、歩かぬ島原太夫道中ひらく』

街頭から舞台へ移った島場の太夫道中、開郭三百五十年とあって十日から五日間、毎日一時と三時の二回、同組合歌舞練場で開かれるが、その大ざらえを九日午後三時から行った、今までの道中とはちがい舞台の上だけに、太夫さんも少し勝手がちがうらしいが、最初「けさの雨」で雲井太夫が三味をひき、君太夫が舞うのをはじめ三人の禿の舞、太夫の投節「よしこの」はそのかみをしのぶ太夫のうたで「あんた玉袖太夫はん」のかしの式のゆかしいさかずきごとがあって最後に舞台一ぱいに、うちかけを着飾った太夫が目もさめる道中を行った。

開期中は藪内流の太夫のお点前があり、角屋、輪違屋、金清には太夫の人形をかざり、島原口には永久的なネオンのアーチ、出口の柳のかたわらには太夫姿のネオンが交番所と隣りしてあかあかとともり、佐野の次郎左衛門ならぬ地方の観光客を呼ぶことになった。





by gionchoubu | 2017-09-03 10:38 | パンパン、赤線 | Comments(0)