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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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京都パンパン赤線時代 二十一

京都パンパン赤線時代 二十一_f0347663_11260736.jpg
             当時の雑誌道頓堀ではその時の様子の臨場感溢れる記事がのります。

照葉が生まれたのは明治29年4月22日で、明治41年大阪宗衛門町の加賀屋から八千代の妹分、千代葉の名で舞妓になりました。

この八千代こそ富田屋の八千代として、飛ぶ鳥落すほどの人気、名妓中の名妓としてこちらも多くの逸話を持つ南地の芸妓です。いつかは八千代の生涯をなぞってみたいと思いますが、今回は照葉の話、タイプの全く違う当時の千代葉と八千代とは全くそりが合いませんでした。

千代葉はわずか十三で所謂水揚げされます。彼女の言葉をかりると“その当時、水揚げを頼まれる男性は「色街の通」と言われそれぞれの筋がありました。梅原さん(千代葉の水揚を試みましたものの幼いゆえ上手くいかなかったと述べ、ただ彼女に嫌悪感のみを与えました)はその「色街の通」の一人で、八千代筋妹分の水揚げ専門に頼まれていたのでした。”という事になります。

この頃南地の芸妓は十六、七歳の内に三回程度の旦那をとらされるのが普通で、水揚げ代は家形と御茶屋、男衆の三者で定められ、その割合に応じて分けられていたのです。生涯照葉は自分がいくらで水揚げされたか知りませんでした。

千代葉はこの水揚げを経験した事で、男女関係というものはあさましいものだと心に植えつけられたと述べており、この経験が彼女をして後年仏門を叩かせることにした大きな要因だったと思われます。

それでも、千代葉は恋をします、十代で両親を失くして、すぐ鼈甲問屋を継いだ若旦那で、二十代からお茶屋遊びを覚え、色街でたいへんなもてかたをしていた音峰の宗やんこと音峰宗兵衛です。

宗やんと千代葉の噂は油紙に火をつけたようにパッと宗衛門町に広がり、まるで千代葉が大阪中の色街の女の果報を一人で占領してしまったかのように、色んな当て推量や憶測までつけ加えて、周りから羨望とも、嫉妬とも、嘲りともつかぬ目で見られたのです。

くちさがない廓雀たちは「女を迷わしてきた音峰さんも、千代葉さんの凄腕にかかってしまった。」

そして、ある日千代葉が、いぜんから噂のあった古川という男の馴染みの茶屋に入り浸っていると通じていると勘ぐった音峰は嫉妬のあまり、捨て台詞を後に彼女を力まかせに振り払い出て行ったのです。

ここから常人でははかりしれない行動を千代葉はとります。身の潔白を示す為彼女がとった方法とは・・・

自分の左手の小指を剃刀で切り、切られた指をハンカチーフにくるみ懐に押し込み、自分の傷にはタオルをぐるぐる巻きつけると、音峰のいる玉突きのリンキ亭に行き、「わたいだす。これ、あんたにあげまっさ」懐から血に濡れた小指を宗やんの手につかませ、闇の中に駆け出していったのです。

参照:高岡智照尼『火喰鳥』かまくら春秋




by gionchoubu | 2017-08-25 11:33 | パンパン、赤線 | Comments(0)