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京都パンパン赤線時代 二十

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舞妓時代の照葉

波乱万丈というのは此の人の為に有るのではないか、と思うほど数奇な人生を辿った大阪南地の超美人芸妓照葉、その人生エピソードを追うのは次回として、彼女が最後に選んだのは、嵯峨野の祗王寺で尼として仏門生活を送ることでした。

仏門を叩いて14年、54歳になった智照尼(照葉)に突然環俗説が持ち上がったのです。この風評に驚いた嵯峨大覚寺では、事の真相を調査するため味岡執事を大覚寺の塔頭である祇王寺を向かわせ事の実相を尋ね、彼女の心境を聞きました。

このとき同行したのが京都新聞の記者で、翌日の京都新聞、昭和24年9月13日『環俗説をめぐって 心にもない風評 かつての名妓、智照尼の語る心境』として掲載されました。

「どういう間違いでそうしたことが伝えられたか知りませんが、環俗などして照葉の昔にかえるなど思いもよらないことで、私はここ(妓王寺)を人生最後の死場所ときめている気持に絶対に変りありません。

私の話したように伝えられた中には私が書いた“照葉ざんげ”の文章からまことしやかに風評がとんでいるらしいのです。

ただこうした混迷の中になりますと私だって迷うこともありますが、併しどこまでも衣を着た気持で一生を過ごしたい念頭でいることだけはハッキリいえます。

私のこれまでの体験をなやみを持つ人たちに聞いて頂いて、多少ともこれらの人々に心のうるおいを与えたらということを考え出来ることなら悩みを持つ人たちに私の人生経験を話して生きたい―これが私の夢なのです。

私の日課?毎日のように書きものをしていますが過去の経歴にさまたげられることもあったり却々思うようにもいきませんが、これは率直にいって私個人の経済状態をどうこうということより妓王寺を保存して頂く気持がほしいものです。

私の落ち葉の句が問題になりがちですが、どうでしょう落花なら色気もありますが落葉ではもうおしまいです。

とにかく十四年すみなれたこの寺を私の死場所ときめておりますし、どんなことがあっても墨染の衣を着ている気持を捨てない私であることだけは断言できると思います。」

その落ち葉の句は紙面に載っておりませんが、照葉の自伝『火食鳥』の「あとがきにかえて 過去帳より」に米寿、八十八歳になった句が載ります。

奔放に生きし過去はも遠花火 智照          合掌




# by gionchoubu | 2017-08-23 11:42 | パンパン、赤線 | Comments(0)

京都パンパン赤線時代 十九

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                         祇園会館

昭和24年3月20日の京都新聞に『祗園東新地誕生』の広告が出ました。

組合名改称公告 今般当組合従来の名称祗園新地乙部組合を左の通り「祗園東新地組合」と改称致しました宜敷く御諒知下さる様此段公告致します(旧称祗園乙部)祗園東新地組合 組合長 松村重治郎

そして初めて祗園会館の名称が使われます。それまでは祗園演舞場としてダンスホールを経営していましたが、昭和23年六月閉鎖して本来の演舞場の復元をした、と説明があります。

さらに三月二十一日より二十七日まで祗園東新地組合として第一回春の恩習会(一部料金税共金百五十円也)の告知も掲載されています。

この時の建物は総檜造りで、現在の鉄筋に祗園会館は昭和三十三年に建てられたものです。又名称も祇園東歌舞会が現在の正式名称です。

昭和24年3月29日の京都新聞

『花街の女をボスから解放 封建色残る組合を労供事業と認定』

京都七条、西陣両職業安定所では全国のトップを切って花街の民主化に乗り出し、管内の祗園甲、乙、島原、宮川町、中書島、先斗町、上七軒の七芸妓組合と下河原月見町のヤトナ従業員組合をいずれも労務者供給事業に認定、これに所属する芸妓八百十六人とヤトナ三百二十五人を解放することになった。

これらの花街は旧制度にしばられ、表面上は芸妓は自前の建前をとっているが、芸ギ組合に加入することによって営業できることや、その紹介で客席にはべる点など、また賃金(花代)は直接自分らが受取るのでなく、貸席業者と組合を通じて受取っている点など明らかに非民主的な従属関係があるとしました。

しかしこれによって花街が全面的に民主化されるとは言い難く、働く彼女達が業者依存の態度をさらりと捨てて明朗な開放的な社会を作り上げる意欲を高めなければならない、としています。

昭和24年5月14日

『売春のピンはねる 旅館の女将と情夫を送検』

東山の祗園南側旅館Tの女将Yと情夫Iは共謀して、昨年九月ごろから和歌山県伊都郡のKさん(十九)を女中名義で同居させ、百貨店店員や洋裁見習生のように言って買淫させ、Kさんには三百円位より支給せず、中間摂取したほか、本年四月初旬ころから伏見区の女中Tさん(二十七)を未亡人、有閑マダムなどに仕立てて同様買淫させた疑いによるもので、児童福祉法、勅令九条、風俗取締法違反容疑で送検されました。

これは氷山の一角で、こういった行為はいくらでもあったと思われます。


# by gionchoubu | 2017-08-22 15:10 | パンパン、赤線 | Comments(0)

京都パンパン赤線時代 十八

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昭和24年3月13日の京都新聞

『やはり生活の苦しさ、やせても真面目に働きたいが 彼女らはどうして墜ちたか、ヤミの女の実態調査から』の記事が大きく載ります。

要約しますと、敗戦後はヤミの女、街路嬢―いわゆるパンパンガールの続出が目立ち、京都地区だけでも四、五百人を数えている。京都福祉研究所では昨年九月以後、戦後の特殊変動によってパンパンとなったものの実態調査に乗り出しました。

街路婦は彼女達の責任の責任だけでは無く、敗戦社会の生んだ哀れむべき落し児である。平安病院の調べによると、この道に迷い込んだ理由として、生活苦によるもの四十九%、紫?苑調査によると、二百二十一人中、生活困難四十七、戦災四十九、家庭不和三十四となりました。

平安病院でHという街路婦が自作のこんなズンドコ節を紹介しました。

「肥えてパンパンといわれるよりも、やせてまじめに働きたいが、千や二千で世帯は出来ぬ、こんな世界にだれがした」

戦争の為に親を失い親類にも顧みられず、数人の弟妹をかかえて生活戦線に疲れ果て、あるいは敗れてしまった女性、孤児として街頭に投げ出されて身体一つを頼みに生きる女性、戦争中多忙の為タイプライターとか洋裁とか手仕事を覚える余裕も無く、厚生しようにも手立てがないのが実情です。

街路婦には、戦争未亡人、引き上げ者もたまにはいるが案外少なく、二十歳前後の女学校出が圧倒的に多いいとの事です。

Kという女性は夫が未帰還であるが子供三人をかかえ、生活のため街路婦になり、外国人とのみ関係を持つといいます。日本人と関係していると夫がもし帰還した時、感情上その他のもつれがおきると困るからがその理由。

また、中年婦人で珍しいおもちゃや菓子をもらって喜ぶ子供の顔みたさに此の道に入った人もいます。普通に勤めたら三千五百円くらいの月給ではなに一つ子供に買ってあげることが出来ないからです。

彼女達の月収は平均一万五千円から二、三万、中には七万という者さえあると噂されていました。ただ生活が花やかため配給の実績が無い者が多いいし、食料はヤミに依存しているため貯蓄が無く浪費も多く、親への仕送りも滞り勝ちというのが多数。さらにはパンパンとみると下宿代もびっくりする程とられる、というから「ひどいわ」とこぼす女もいる。

パンパンになったもう一つの理由は虚栄心から墜ちた場合があげられます。良い服、良い靴、良いハンドバック、さっそうとしたニュールックで街を歩くパンパンに、一部の女性は蔑む気持と同時に羨望の気持もわいてしまうのです。

Eというパンパンガールが「自分の住んでいる囲りは日本人が少なく友達などもそれらの人と交際して美しい格好をしているのがうらやましくて一度でもよいからあんな洋服をきてみたいといつも思っていた、ある機会に友人から紹介され喜んでダンスに行ったりしたが“あそび”とはそんなものでないことがやっとわかった、その夜は実にいやでおそろしかったが、それでも菓子などをもらってうれしかった。」と告白しました。

記事は、性的知識の貧困は実にひどく、今後の性教育の必要を感じさせられる。全職を調べるとキャバレーの女がほとんどで、ある点良家の子女のこういう場所への出入りはつつしまなければならない事を示している・・・と結んでしました。



# by gionchoubu | 2017-08-20 12:01 | パンパン、赤線 | Comments(0)

京都パンパン赤線時代 十七

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昭和24年、2月2日の京都新聞

『ダンサーも労働者です』固定給も支給、ホールに労基法適用

昨年六月美松ダンスホールの七ダンサー整理によってダンサーが自営業と主張するホール側と、雇用契約があるので労働者であるとするダンサー側との対立が生まれました。

京都労基局でも全国的に結論の出ていない問題だとして再度本省と打ち合わせ、十二月には美松、北野、歌舞伎など市内大ホールへの実態調査を行いいました。

そしてダンサーの指揮、監督、命令など使用者が握っている点などの数項目を指摘し、雇用関係はともかく使用従属関係が認められる以上、労基法の適用を受けると結論付けました。

これにより業者は適用事業場報告や労働者名簿、賃金台帳の備えつけは勿論、一切の使用者としての責任を果さなければならなくなりました。

これで収益が契約高に達しない場合、自分の衣類を売ってでもその損害を補わねばならなかったダンサーも当然その負担から逃れることになり、あらたに固定給も支払われ、無茶な整理からも守られ、やっとダンサーも労働者の仲間入りとなりました。

上記の実態調査が行なわれた市内大ホールの美松は新京極上ル西、歌舞伎は河原町上ル六角西、北野は昭和26年の紙面の宣伝欄に北野アベックホールとして千中下ル西と書いてあります。

その他上七軒の北野会館に有ったのは上七軒キャバレーで以上は全て日本人中心のダンスホールはづです。

進駐軍専用大ホールが有ったダンスホールとすると以前紹介した、昭和八年に誕生した九条山の東山ダンスホールがありました。もうひとつ進駐軍専用として円山公園の藤の棚に都キャバレーも紹介させて頂きました。こちらは昭和25年4月1日、京都唯一の進駐軍専用飲食店キャバレー、円山パラダイス(京都ナショナルクラブ経営)として再オープンしましたものの昭和26年1月15日未明に全焼しました。

もうひとつ、祇園花見小路にあったキャバレーグランド京都は、戦後より昭和24年4月9日までは進駐軍専用、十日より一般邦人の社交場として使用することが許可されました。

昭和24年、2月26日の京都新聞

『これもご時世どす 護身術を習う芸コはん』

「そんなにきつうしやはったらいとおっせ」

「かんにんどっせ」

これはきのう先斗町歌舞練場で芸コはんが護身術をならう一風景・・・

万一暴漢に襲われた場合を考え、お茶屋組合が正道館の長島五段らを招いて昼からその講習会を開いたが同じ畳の上でも一寸勝手が違うのか芸コはんも遠慮がち

それでも人になれるものは早いもの・・・しまいにはこんな時にはどうしたらよろしおすと質問をあびせ先生達があせをかいたり赤くなったり・・・

写真はこんな工合どっか・・・と護身術のおけいこ



# by gionchoubu | 2017-08-19 12:26 | パンパン、赤線 | Comments(0)

まいまい京都 輪違屋コース

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以下の日時で輪違屋さんのお座敷に如月太夫を御招きします。

お馴染みさんは別として、一般募集で輪違屋さんに一見(一現)さんがお座敷に挙が

れる機会は現在まいまい京都の企画のみだと思います。

太夫道中、お座敷拝見、かしの式、舞、演奏も素晴らしい感動を呼びますが、如月太夫、

輪違屋十代目御当主高橋利樹さんとゆっくりお話ができるのがなによりと・・・

浮世場離れの別世界をご堪能ください。

くれぐれも魂を抜かれないように・・・




予約あと少し

http://www.maimai-kyoto.jp/program/machiaruki/17au039/


9月18日(月)11:30〜14:30

【輪違屋】粋を極めた芸妓の最高位・太夫さんとお座敷遊び
〜幕末の空間が残る格式高き島原唯一のお茶屋、十代目当主がご案内〜





京都で唯一、幕府より公認を受けた
格式高き花街・島原。
そのなかで今も営業を続け、日本でただ一軒
太夫を抱えるお茶屋が、輪違屋です。

襖に道中傘を貼りこんだ「傘の間」や
本物の紅葉が塗り込まれた「紅葉の間」、
近藤勇の屏風など、新選組や志士たちも遊んだ
幕末の空間で、太夫さんとお座敷遊び。

島原の太夫は、知識、品格、遊芸と
すべてにおいて極上、大名や公家たちの
お相手を務めた芸妓の最高位。

可愛らしい禿を引き連れ練り歩く
「太夫道中」や顔見せの儀式「かしの式」、
お点前、舞・胡弓などの技芸。
京料理やお酒を味わいながら、
粋と艶を極めた
絢爛な饗宴を堪能しましょう。

固く閉ざされた「一見さんお断り」の世界へ。
花街を知り尽くした十代目当主の
レクチャー付きなので、
初めての方や女性の方もご安心を。


※飲酒を伴うため、ご参加は
20歳以上の方に限らせていただきます。

開催日時
2017年9月18日(月)11:30〜14:30頃
※開始10分前にはご集合下さい。
集合場所
JR「丹波口」改札口前
※手旗を持ったスタッフがお待ちしております。
参加費用
28,000円 (保険料含む) ※料理、お酒付き
定員
20名(先着順・要予約)
注意
・靴下を着用してご参加ください。
・催行人数10名に満たない場合、開催日の7日前までにツアー中止をお願いすることがございます。
参加予約
ページ下【参加予約はコチラから】ボタンをクリック
または、まいまい京都事務局までお電話ください。
電話:075-462-2312
(受付時間10:00〜18:00 ※水・日・祝は定休日)

  • 参加費は当日集合時にお支払い下さい。お釣りのないようお願いします。
  • 参加予約後のキャンセルは、この日の為に準備を重ねてきたガイド・事務局ともに、とても悲しい思いをいたします。キャンセルのないようお願いいたします。
  • 開催3日前以降のキャンセルは、キャンセル料をいただきます。
    ⇒キャンセル料について詳しくはこちら
  • 歩きやすい服装と靴でお越しください。
  • 日除け、虫除け対策は各自でお願いいたします。
  • 雨天決行です。警報や注意報が発令されるなど荒天時は中止します。中止の場合は、開始時間の2時間前までに連絡いたします。



コースルート

【距離:約0.5km】JR「丹波口」 → 1.島原西門跡 → 2.島原住吉神社 → 3.歌舞練場跡 → 4.輪違屋(お座敷遊び) → (解散)

ガイドさん

高橋 利樹 さん

輪違屋十代目当主。幼き頃より太夫や芸妓とともに暮らし、三味線や鼓の音を子守唄代わりに育つ。太夫や芸妓に芸事を教えるため、自らも芸に精通する。著書に『京の花街 「輪違屋」物語』。
⇒京の花街「輪違屋」物語(Amazon)

担当コース:

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正脇 良平 さん

祇園の旅館「ギオン福住」支配人。祇園甲部、祇園東、宮川町の芸舞妓の手配、また自らお座敷の司会進行を手がけ、花街文化に親しんできた。全国200箇所以上の花街・花街跡を訪問。現在は専ら「祇園ねりもの」(もう一つの祇園祭として江戸時代中期より絶大な人気を博すも、昭和35年を最後に途絶えた芸妓による仮装行列) の復興を目指して活動中。
花街ぞめき(ブログ)

担当コース:


# by gionchoubu | 2017-08-17 16:02 | 島原遊郭 | Comments(0)